心と体

2017年5月14日 (日)

2017年5月14日(日)復活節第5主日礼拝 説教「いのちの道」

2017514日(日)復活節第5主日礼拝 説教「いのちの道」大柴譲治 joshiba@mac.com

ヨハネによる福音書 14:1〜14

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(6節)

 

「わたしは道であり、真理であり、命である」

 ヨハネ福音書はある意味、非常に分かり易い書物です。イエスがご自分のことを「わたしは〇〇である」と宣言している言葉が多く、私たちの記憶に留まり易いためであると思われます。例えば先週私たちはヨハネ10:11から「わたしはよい羊飼い。よい羊飼いは、羊のために命を捨てる」という言葉を聞きました。また、「わたしはブドウの木、あなたがたはその枝である」(15:5)、「わたしは復活であり、命である」(11:25)、「わたしは世の光である」(8:12)、「わたしは命のパンである」(6:35などなど、印象に残る主イエスの言葉は枚挙にいとまがありません。

 本日の箇所も同様です。主イエスはそこで「わたしは道であり、真理であり、命である。」と宣言しておられる。そして「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」と言われているのです。その意味するところは明白です。キリストは父なる神に至る道であり、真理に通じる道、命の道である、というのです。私たちに神に至る一つの道が示されているのです。本日は「道」ということについてみ言葉に聴いてまいりましょう。

 

「キリスト道」を歩む

 ローマ帝国は交通のために「道路網」を整備しました。「すべての道はローマに通じる」という言い方があるくらいです。ヨーロッパとアジアを結ぶ「シルクロード(絹の道)」という道もありました。「道」というものを通して、商業や貿易、文化や人的な交流が促進されてきたのです。私たちは「道」というものの大切さを知っています。「道」を通って私たちは目的地に向かってゆくのです。日本語には「道を究める」という言い方があります。書道や茶道、華道や武道(剣道や柔道、弓道など)、道教の影響もあってのことでしょう、何事も「真理に通じる道」として受け止められてきました。そしてどのような「道」であっても生涯を賭けて「芸を磨いてゆくこと」「道を究めてゆくこと」が大切というように考えられてきたのです。

 私たちにとってキリストを信じる「信仰」も一つの「道」であると位置付けることができましょう。私はそれを「キリスト道」と呼びたいと思っています。しかしこの道は私たちが神へと近づいてゆくような「上り道」ではない。私たちは自らの「罪」のゆえに神に近づいてゆくことができなかったからです。この「道」は、神が、天におられた神の方からこの地上に生きる私たちに近づいて来てくださったそのような「下り道」なのです。自分の能力や業績や努力や地位を誇るような「昇り道」ではない。かえって自分の弱さや破れ、無力さや惨めさを誇る「降りてゆく道」です。パウロも言っています。「私は喜んで自分の弱さを誇ろう。なぜならば、私は弱い時にこそ、キリストにあって強いからだ」2コリント12:9-10「キリストに従う道」とは、自分の強さを誇るのではなく、自分の弱さを誇る、そこに働くキリストの強さを誇る、そのような道なのです。

 

浦河べてるの家

 今、日本のみならず世界中から注目を集めているのが北海道(北海道も「北の海の道」と書きますね)の浦河というところにある「浦河べてるの家」という精神障がい者の施設とその活動です。その活動が始まってもう30年以上になります。べてるの家とは、1984に設立された浦河町にある精神障がい等をかかえた当事者の地域活動拠点で、社会福祉法人浦河べてるの家(2002年法人化-2つの小規模授産施設12の共同住居、3つのグループホーム)、有限会社福祉ショップべてるなどの活動の総体です。そこで暮らす当事者たちにとってそれは、①生活共同体、②働く場としての共同体、③ケアの共同体という3つの性格を有しています。最初はクリスチャンソーシャルワーカーの向谷地生良という方が日基教団浦河教会で始めた小さな活動から始まりました。今は日本中から病気を抱えた人が集まってきて、何と年商1億円もの利益を出すまでになっています。もちろん「べてるの家」は聖書から命名されています。「ベテル」とは「ベート・エル(神の家)」という意味です。

 皆さんの中にも「当事者研究」という言葉をお聞きになった方もおられることでしょう。浦河べてるの家では、皆が自分の病気を自分で研究材料にしているのです。それは「当事者研究」と呼ばれています。たとえば、幻聴を持っている人はそれを「幻聴さん」と呼んで研究対象にしてしまっているのです。病気が治るわけではありません。むしろ病気さえも自分に与えられた「個性」として笑いながら味わい楽しむというような姿勢でしょうか。病気はよくならないのに、皆がそれを抱えたままでどんどん元気になってゆく。不思議な実践です。私は20079月に浦河べてるの家を訪問させていただいたことがあります。その半年ほど前に教会のニュースレターに書いた文章がありますのでご紹介させてください(むさしのだより20073月号巻頭言)。

 

浦河べてるの家の「当事者研究」  大柴讓治

「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」2コリント12:10/ クリスチャンのソーシャルワーカー向谷地生良(むかいやち いくよし)氏の書いた『安心して絶望できる人生』(NHK生活人新書、2006)という書物を知った。そのたすきには印象的な言葉がある。「病気なのに心が健康になってきた。精神病を抱えた人たちが、自分で自分の助け方を見つける浦河べてるの家。今日も順調に問題だらけだ!」北海道の襟裳岬の近くに浦河という人口15千人の過疎の町があり、そこに「浦河べてるの家」という共同体がある。「べてる」とは「神の家」(創世記28章)という意味のヘブル語。その「問題だらけの共同体」についてのレポートが実に面白く、読む者の心にまっすぐに響いてくる。/ そこには、これまで幻聴など精神的な病いに長く苦しめられてきた人々が自分自身を研究対象にすることで気づきを深め、それを分ち合うことを通して共同体を形成してゆく姿が描かれている。題して「当事者研究」。なるほど!それは私にとって「目からウロコ」体験であった。私たちの問題は「自分の中に弱さを抱える」ことにあるのではなく「その弱さを分かち合う共同体を形成できないでいる」ことにあるのだ。困った時に、それを乗り越えること以上に大切なことは、「今、私は困っています」というSOSを外に向かって発することなのである。これが簡単に見えて難しい。自分の無力さをさらけ出すことになるからだ。しかし不思議なことに、それができた時に共同体が形成されてゆく。安心して弱さを分ち合い、絶望を担い合うことのできる共同体がそこに出現する。「しかし、『絶望感』という鉱脈を掘り当てたときに、ふつふつとわき上がってきたのは、不思議にも『充実感』だった」(『べてるから吹く風』)。ティリッヒに触発されながら向谷地氏は、イエスが人々の弱さの中に降り立ったことに思いを馳せつつ、ソーシャルワーカーとして自らの無力さを原点に「安心して絶望できる援助」を展開してゆく。/それは決してきれい事ではない。そこには生身のぶつかり合いがあり、徒労と失望の涙があり、どん底を共に生きようとする覚悟があり、気が遠くなるような忍耐がある。同時に、底抜けの明るさがあり、ユーモアがあり、しぶとい生命力があり、かけがえのない人間のドラマがある。登場人物一人ひとりが何と生き生きと輝いていることか。べてるの家の混とんとした現実を見守る精神科医や看護師、ソーシャルワーカー、牧師や浦河の人たちの姿も実に温かい。/ この世の上昇志向的な価値観に真っ向から対立するその「降りてゆく生き方」に「我弱き時にこそ強し」というパウロの言葉を思い起こす。そこにキリストのリアリティーを強く感じるのは私だけではあるまい。この本を多くの方に手にしていただきたい。そして私たちの気づきを分ち合うことができれば、私たちもそのような共同体に参与できるようになるのではないかと思う。

 

 「わたしは道であり、真理であり、命である」と宣言して下さった主イエス・キリスト。「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」と言いながら、向こう側から私たちの所にその命の道を開いて下さったお方がいます。そう言って私たちと共に歩んでくださるお方がいる。そのお方につながっている幸いを深く味わいながら、この新しい一週間をもご一緒に踏み出してまいりましょう。

 お一人おひとりの上に復活の主の豊かな力と祝福とがありますように。アーメン。

2017年5月 8日 (月)

2017年5月7日(日)復活節第4主日礼拝説教「わたしはよい羊飼い(詩編23編)」

201757日(日) 復活節第4主日礼拝 説教「わたしはよい羊飼い(詩編23編)」  大柴 譲治 josihba@mac.com

詩編23/ ヨハネによる福音書 10:1-10

10 わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。11 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。(ヨハネ10:10b-11

 

主はわたしの羊飼い

1 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。2 主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、3 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。4 死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。」

 これは詩編23編からの言葉です(1-4節)。詩編23編は、全部で150編ある詩編の中でも最も有名で、最も愛されてきたものの一つです。皆さまの中でも愛唱聖句とされておられる方も少なくないと思います。この詩編23編が本日の礼拝の主題詩編となっています(各主日の主題詩編は教会手帳に掲載されています)。この詩編を私たちは、私たちの羊飼いである主イエス・キリストに対する徹底した信頼の詩編として受け止めることができます。この羊飼いと羊の信頼関係はどのような中にあっても決して揺らぐことはなく、損なわれることはないのです。主はどのような時にあっても、どのような場所にあっても、私の羊飼いであって、私には何一つ欠けたこと、乏しいことがない。主は私を緑の牧場に伏させ、憩いのみぎわに伴いたもう。主の御名のゆえにわたしの魂を生きかえらせ、常に私を正しい道へと導き給う、のです。人生においてこのような羊飼いを持つことができる者は幸いであると言わなければなりません。人生は山あり谷ありです。順風の時もあれば逆風の時もある。しかしどのような時にも、たとえ苦難の中にあっても、この詩編23編は実に多くの人々を支えてきました。「たとえ死の陰の谷をゆく時も、あなたが共にいますがゆえに、災いを恐れません」と告白することが私たちには許されていることは幸いです。羊飼いが持っている鞭と杖とが、私たちを悪しき敵から守り、どのような時にも私たちを力づけてくれるのです。この羊飼いとの関係は決して揺らぐことがありません。

 この詩編はイスラエルの歴史の中で読まれてきたものでした。神とその神の民との間の強い信頼関係を歌ったものです。作者は浮き沈みの激しいこの人生において神の愛と保護とを確信し、平静そのものであります。

 そして5-6節は次のように歌っています。5 わたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。6 命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう」。ここでは、私たちを待っているであろう「終りの日の祝宴」(終末論的な希望)が指し示されています。このような希望があればこそ、私たちは「艱難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生み出す」とパウロがローマ書5章で告げているように、現実の困難を耐えてゆくことができるのです。

 この詩編は、歴史的に見るならば、旧約聖書につぶさに記されているように、神の民イスラエルの歴史を導いた牧者としてのヤーウェを歌ったものでありましょう。ヤーウェは「その牧の(羊の)群れ」であるイスラエルを、モーセを立てて、「死の影の谷」であるエジプトから導き出し、途中の荒れ野では水のあるところ(岩清水)に導き、緑の牧草が豊かな約束の地に連れて入ってゆきました。5節のわたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。という言葉は、敵のただ中からの救出のしるしとして祝った最初の過ぎ越しの食事を意味しているとも理解できます。「御名にふさわしく」とは「ヤーウェ」という聖なる神の名前が本来、ヘブル語の動詞形の「ヤー」という語に由来し、それが「ある、存在する」「ありてある者」という意味であったように、神が常にその民と共にあったこと(インマヌエル!)を意味しています。「ヤーウェ」という御名にふさわしく、その民を守り、導き、世話をしながら、「正しい道へと導かれた」ということが告白されています。「死の陰の谷」とは「敵に殺される危険」を意味し、これを「暗い闇」と読む人もいるようですが、歴史的には「エジプトでの10の災害」のうちの「暗闇」と「初子の死」を指したものであるとも考えられます。ヤーウェなる神は、小羊の血によってイスラエルの民からこれらの災いを過ぎ越された(英語では「Pass-over」)のでした。「鞭と杖」とは、オオカミを追い払うための「鞭(棒)」と羊を導くための「杖」を意味します。「わたしの頭に香油を注ぎ」とは「主人のもてなしの意を表すために客人に注がれる香油」のことを意味しています。同時にこの「油注ぎ」は、将来のイスラエルに対するヤーウェの祝福を意味しているとも考えられます。主イエスは神によって「油を注がれた者(キリスト/メシア)」となられたのでした。

 本日の福音書の日課にも、「門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く」(10:3-4とありました。実際に羊たち一頭一頭には名前が付いていたようです。羊という動物は、大変に視力が弱いようですが、逆に聴覚は並外れて優れていたようです。その羊が迷子にならないように、羊飼い主イエス・キリストは、羊たちが迷子にならないようにその名前を呼びながら、ある時には先頭に立って、ある時には一番後ろから、またある時には羊の横に並んで、歩いてくださるのです。歩けなくなった羊をその胸に抱いて歩いて下さることもあったことでしょう。そして群れの先頭に立って私たちを導き守って下さるのです。羊は羊飼いの声を知っていて聞き分けるので、羊飼いに安心してついて行くことができます。主はわたしの羊飼い、わたしには乏しいことがないからです。

 

私たち一人ひとりもまた、主によって「小さな羊飼い」としてこの世に派遣されてゆく

 そして主が私たちのために命を捨てるよい羊飼いであるという事実は私たちを根底から造り変えてゆきます。私たち自身もまたキリストによってこの世の苦しみや悲しみの中に置かれている「飼う者のない羊」のような存在に向かって派遣されてゆくのです。羊飼いであるキリストはその手足として私たちを用いてゆかれるのです。宗教改革者のルターはそれを「全信徒祭司(万人祭司)」という言葉で言い表しました。「すべてのキリスト者は『祭司』としての務めと責任を持つ」とルターは言ったのです。それは何か。神と人々の間に立つ「祭司」には二つの役割があります。一つは「人々に神の言葉を伝える」という役割です。方向としては、神から隣人に向かう方向(ベクトル)であると言ってよいでしょう。聖書のみ言葉を通して、神のI Love Youという確かな声を隣人に届ける役割です。そしてもう一つは、隣人のために神に対して「とりなしの祈りを捧げること」です。隣人のために祈る役割です。こちらは、先とは逆で、隣人から神へとベクトルは向いています。私たち一人ひとりが「小さなキリスト」となり(ルター『キリスト者の自由』)、「小さな羊飼い」となるのです(それを「真の羊飼いであるイエス・キリストを助ける牧羊犬」と言った私の恩師もいました)。ここに深く大きな、揺るがぬ喜びがあります。まことの慰めがあり、希望があります。この人生という旅路を、真の羊飼いである主イエスの御声に従ってゆく幸いを味わいながら、私たちはご一緒に新しい一週間を踏み出してまいりたいのです。

 お一人おひとりの上に主の豊かな力と守り、導きと祝福とがありますようにお祈りいたします。アーメン。

 

2017年4月30日 (日)

2017年4月30日(日)復活節第三主日礼拝説教「人生の途上で」

2017430日(日) 復活節第三主日礼拝 説教「人生の途上で」   大柴 譲治 joshiba@mac.com

ルカによる福音書 24:13-35

30 一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。 31 すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。 32 二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。(30-32節)

 

復活=すべての始まり

 教会暦では本日は復活節第三主日。私たちはイースターの出来事が「すべての始まり・信仰の原点」であったことを知っています。キリストの復活がなければ復活の主と出会った人々が死をも恐れずに全世界に出て行って福音宣教するということは決して起こりませんでした。イエスの弟子たちは十字架のもとから一人残らず逃げ去りました。遠藤周作の言葉を借りれば、彼らは皆「主を捨てた弱虫」だったのです。しかしそんな彼らが復活の主と出会うことによって、それまでとは全く異なり、死をも恐れず復活の主の福音を宣教する「新しい人間」に造り変えられていった。歴史学が証明できるのは「主イエスの空の墓」まででしょう。しかし弟子たちの心の中には確かに主がよみがえってご自身を啓示されたのです。遠藤周作はその意味でこう言っています。「復活は、歴史的な事実であるとは証明できないかもしれないが、それは弟子たちにとってはまぎれもない真実の出来事であった」。信仰者にとってこの世に起こるすべての出来事復活の光に照らされています。

 使徒パウロも1コリント15章で言っています(3-22節)。「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。とにかく、わたしにしても彼らにしても、このように宣べ伝えているのですし、あなたがたはこのように信じたのでした。キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。なぜなら、もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。」

 

人生の途上で〜エマオ途上で復活の主と出会う

 本日の福音書にはエマオ途上での出来事が記されています。「ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン(約11キロ)離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が(向こう側から)近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、『歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか』と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。『エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。』イエスが、『どんなことですか』と言われると、二人は言った。『ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、「イエスは生きておられる」と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした』」(13-24節)。弟子たちは二人とも目の前にいる人がイエスだということに気づきません。それはそうでしょう。彼らが主と慕っていたイエスは十字架の上で殺されてしまったのですから。空っぽの墓しか見当たらなかったのに、何人かの女性たちが天使たちから「イエスが復活(再起)して生きておられる」と告げられたと言い始めたというのです。復活という出来事は理性や経験や常識の次元ではどうしても私たちには理解することのできない事柄です。16節の「二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」とはそのことが表現されているのでしょう。頑なに思い込んでいた二人の弟子たちにイエスは言われます(25-32節)。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか」。そして主は、「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された」のです。目指す村に近づきましたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子でした。それを二人は無理に引き留めます。「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」。そう促されてイエスは共に泊まるため家に入られました。「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った」(30-32節)。

 この場面はとても大切なことを示しています。20節の「イエスがパンを取り、讃美の祈りを唱え、パンを裂いて(二人に)お渡しになった」というのは、礼拝と聖餐式を意味します。聖餐式を通して彼らの「遮られていた目が開け」、それがイエスだと初めて分かるのです。しかしイエスの姿が次の瞬間には見えなくなっていました。聖餐礼拝を通して二人は復活の主が今も生きて彼らと共にいてくださるというキリストのリアリティ、復活の主のリアルプレゼンス(現臨)を生き生きと感じ取ることができたということでしょう。そしてそこから振り返った後から、主が聖書について語ってくださった「あの時、(自分たちの)心は燃えていたではないか」ということに気づかされるのです。これはとてもおもしろい表現です。ボーッと劇的に燃えたのではない。後から気づくほど心は静かに温かく燃えていたということでしょう。私たちは気をつけたいのです。何かに一生懸命になる時に私たちの視野は狭まり、自分のことしか見えなくなってしまいやすいからです。そして周囲の人を傷つけたり、自分をも追い詰めたりしてしまう。しかし「信仰」はそういうものではない。復活の主は共にいてくださることを後から気づくことができるような仕方で、み言葉の穏やかな味わいの中に示してくださるのです。

 

人生の途上で〜一人の青年の洗礼式にあたって

 本日はこれから一人の青年女性の洗礼式に与ります。主イエス・キリストが一人の姉妹を深く愛してくださり、その愛への応答としてこの姉妹は主イエスを信じ、自分の救い主として告白し、洗礼を受けられます。エマオ途上で復活の主が二人の弟子たちに近づき、彼らと共に旅をし、聖書のみ言葉を通して彼らの心を静かに燃え立たせ、礼拝と聖餐を通して彼らの目を開いてくださったように、この姉妹がキリストの恵みの御業の中に新しく生まれ変わり、人生を主と共に歩むことをご一緒に喜びたいと思います。神さまの豊かな祝福をお祈りいたします。そしてまた、この洗礼式を通して私たち自身も自らの洗礼式に思いを致し、人生の途上で復活のキリストと出会って私たち一人ひとりが主を信じる者とされていることを覚えつつ、共に主キリストに従ってまいりたいと思います。お一人おひとりの上に復活の主の豊かな力と祝福とがありますように。アーメン。

2017年4月17日 (月)

2017年4月16日(日)復活祭・大阪教会宣教百年記念礼拝説教「すべての始まり」

2017416日(日) 復活祭・大阪教会宣教百年記念礼拝説教「すべての始まり」 大柴譲治

使徒言行録10:39〜43 / ヨハネによる福音書20:1〜18

イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。 (ヨハネ20:16

 

復活=すべての始まり

 イースターおめでとうございます! この喜びの日を今日ご一緒に迎えることができたことを感謝します。

 イースターの出来事は、私たち信仰者にとっては、すべてはそこから始まっている「すべての始まり・原点」とも呼ぶべき出来事でした。キリストの復活は、それ以前とそれ以降の人間の生き方を完全に分つ出来事です。旧約聖書は「光あれ!」という神の言葉(神の声)によって始まっていますが、キリストの復活はそれ同様に、死と闇と絶望のただ中で神が「光あれ!」と呼ばわって「光があった」という出来事であり、すべての始まりなのです。この「光あれ!」と闇の中に響く神の声こそ、私たちの主イエス・キリストの存在です。

 その始まりの出来事を、ヨハネ福音書は次のようにダイナミックに描写しています。初めに言があった言は神と共にあった言は神であったこの言は初めに神と共にあった万物は言によって成った成ったもので言によらずに成ったものは何一つなかった言のに命があった命は人間を照らす光であった光は暗闇の中で輝いている暗闇は光を理解しなかった」(1:1-5)。声は言葉を乗せて運ぶ車(ヴィークル/器)です。バッハのカンタータではないですがそこには「目覚めよと呼ばわる者の声がする」のです。十字架で「すべては終わった」「the end」と思われていた中で、復活によってすべては再起し、新しい光の中に置かれることになりました。十字架において敗残されたキリストが、復活によって「勝利者キリスト」になられたのです。イザヤ書53章の「苦難の僕」の預言が「主の復活」において成就したのです。見るべき面影はなく、輝かしい風格も好ましい容姿もない彼は蔑され人々に見捨てられ、多くの痛みを負い病を知っている彼はわたしたちにし、わたしたちは彼を蔑し無視していた彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた、神の手にかかり打たれたから、彼は苦しんでいるのだ彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ちかれたのは、わたしたちの咎のためであった彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によってわたしたちはいやされた」(イザヤ53:2-5)。

 先週私たちは子ロバに乗ったイエスが私たちの王として神の都エルサレムに入城される場面を読みました(マタイ37-40節)。本当の意味で復活のキリストを通して、「ホサナ(主よ、お救いください。)」という叫び声は実現し、「天には平和、いと高きところには栄光」が成し遂げられたのです。それはネガフィルムとポジフィルムが反転するような、天地がひっくり返り逆転するような、大いなるどんでん返しでありました。私たちの思いをはるかに越えた「始まりの出来事」だったのです。すべてはこの主の復活の光のもとに置かれています。すべてはその光によって照らされているのです。

 

大阪教会宣教百年の歴史を振り返って〜『大阪教会七十周年記念誌』

 この世のすべては、このキリストの復活の光の中で輝いています。だから私たちは、どのような困難な状況の中におかれても絶望しません。パウロが2コリント4章で言う通りです(4:6-12)。「『闇から光が輝き出よと命じられた神はわたしたちの心のに輝いてイエスキリストの御に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいましたところでわたしたちはこのよな宝を土の器に納めていますこの並外れて偉大な力が神のものであってわたしたちから出たものでないことが明らかになるためにわたしたちは四方から苦しめられても行き詰まらず途方に暮れても失望せず虐げられても見捨てられず打ち倒されても滅ぼされないわたしたちはいつもイエスの死を体にまとっていますイエスの命がこの体に現れるためにわたしたちは生きている間えずイエスのために死にさらされています死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるためにしてわたしたちのには死が働きあなたがたのには命が働いていることになります。」そしてパウロは続けます。「だからわたしたちは落胆しませんたとえわたしたちの外なる人は衰えていくとしてもわたしたちのなる人は日々新たにされていきます」(2コリント4:16ルターは「キリストが『悔い改めよ』と命じるように、キリスト者の全生涯は日毎の悔い改めである」と言いましたが、私たちは日々新たにキリストと共に死んで、キリストと共に復活することを体験しているのです。私たちはこのような復活のキリストを信じる信仰によって生かされています。

 今日は大阪教会の宣教百年の誕生日です。私たちの大阪教会は、今から百年前、今年が「宗教改革500年」ですが、「宗教改革400年」運動のうねりの中で生み出されてゆきました。そのことは今からちょうど30年前の1987419日に発行されたこの『大阪教会七十周年記念誌』に明らかです。米国から派遣されたCWヘプナー宣教師によって大阪伝道は始められてゆきました(1917- 193518年間)。天王寺村脇ケ岡の地で持たれた最初の礼拝は191748日、復活祭の日のことでした。そのあたりの歴史を林鉄三郎兄はこの70周年記念誌の中に克明に記しています。「礼拝の席上、内海伝道師の転入式を執行、山内牧師は『基督の復活』と題して説教され、ヘプナー宣教師のもとに聖餐を守られた。陪餐者は10名であった」とあります(p15)。そして時代状況は急変し、不穏な社会情勢の中で戦争の時代へと突入してゆきます。

 私の手もとに、1999年頃までの大阪教会の年表があります。三浦知夫先生(1996-1999)の作によるでしょうか。それによると、小泉昂牧師(小泉潤牧師の御尊父、小泉基・嗣両牧師の御祖父様)が1931年から1945年まで大阪教会の牧師であったという記録があります。昨日私は193993日付けで木箱に入った聖書と讃美歌、礼拝式文を見つけました。そこには大阪教会の名前に加えて小泉昂牧師のお名前とその当時の七人の役員名が記されています。19391217日に真法院町に大阪教会の礼拝堂が献堂されますが、その際に礎石の中か棟上げの時に建物の中に収められたものでありましょう。今から78年と8ヶ月程前の記録です。このあと小泉昂牧師はしばらくして、「19429月に病状の悪化により休職して静養。代務者として神学校を卒業した吉崎三郎牧師着任。赴任後まもなく出征、フィリピンにて戦死」と記されています。そして「194553日に小泉牧師、41歳で召天」とあります。小泉昂牧師は足かけ14年間この大阪教会のために働かれましたが、志半ばで天へと駆け抜けてゆかれたのでした。その後、小泉牧師夫人とその5人のお子さん(小泉潤牧師がその長男)がどれほどご苦労されたかは想像に難くありません。10歳で父親を亡くされた潤先生は、葬儀途中に空襲警報が鳴って葬儀が中断されたことや、お母さまと一緒に父親を火葬するために棺桶に入れて自分たちでリヤカーに乗せて斎場まで運んだことなどをこの70年誌に記しています(p43)。代務者の吉崎三郎牧師もフィリピンで戦死。ヘプナー宣教師も1935年に東京・鷺ノ宮の神学校に移った後に戦争のため1942年帰国を余儀なくされています。戦後しばらくして稲富肇牧師が着任します(1947-1955)。この稲富牧師の1954125日に今の谷町三丁目の場所に鉄筋新会堂が完成。ここにはそれまでメソジスト教会と幼稚園がありました。稲富牧師の慧眼とその預言者的な決断力には優れたものがあったと思います。そして内海季秋牧師が1960年に着任し16年間牧会の任に当たります(-1976)。その後に石橋幸男牧師が着任(1976-1991)。1991年に松原清牧師が着任し9年間この教会の牧会(-2000)。大阪教会は3年任期でこれまで何人もの副牧師を取ってきましたが、松原先生は1970-1973とこの教会の副牧師でもありました。三浦知夫牧師も1996-1999と三年間副牧師でした。そして松原先生と三浦牧師の後には一年間石居正己牧師がピンチヒッターとしてこの教会をカバーし、20014月に滝田浩之牧師が着任(-2016)。内海季秋先生が総会議長であった1969年にはアスマラでJELCが自給をすることを宣言し、19751115日にホテル・ザ・ルーテルがオープンされました。当時は9階建ての建物の最上階に教会が位置していました。それから26年を経て200112月に現在の建物が完成。歴代の牧師とその家族、信徒の方々の厚い信仰がこの大阪教会の内外を貫いて継承されてきたのでした。

 百年の歴史を貫いて、私たちのただ中に生きて働いてこられたお方がいます。それは私たちのために十字架にかかり、甦ってくださった復活の主キリストです。44日に1955年に稲富先生からこの場所で受洗された藤田京子姉がるうてるホームで88歳のご生涯を終え帰天されました。本日は100人ほどの召天者のお写真がここに並べられています。私たちの生きているこの地上の歴史には確かに神の救いのドラマがあります。そのことを覚えながら、私たちもまた復活のキリストの証人として主に従ってまいりたいと思います。お一人おひとりに豊かな主の力と祝福がありますように。大阪教会の今後にも主の導きをお祈りいたします。アーメン。

2017年4月10日 (月)

2017年4月9日(日)枝の主日礼拝説教「主の弁明」

201749日(日)枝の主日礼拝説教「主の弁明」 大柴 譲治

ゼカリヤ書 9:9-10 / フィリピの信徒への手紙 2:6-11 / マタイによる福音書 21:1-11

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピ書 2:6-8

 

「枝の主日」(英語ではPalm SundayPalmとは棕櫚のこと)におけるエルサレム入城

 今日は「枝の主日」。主イエスがロバの子に乗って神の都エルサレムに入城してゆくのを、人々が棕櫚の枝や葉を振って歓呼の声をあげて迎える場面が与えられています。大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。『ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ』」(マタイ21:8-9)。これは本日の第一日課であるゼカリヤの預言が成就したとされている場面でもあります。ユダヤ人にとっては何百年も待ちに待った救い主である真の王が、ゼカリヤ9:9-10の預言通り、ロバの子に乗って即位のために神の都エルサレムに入ってゆかれるということで熱狂的に叫ぶ姿がとても印象に残ります。「軍馬」のような力の象徴である馬ではなく、柔和さと謙遜の象徴である「子ロバ」に乗って、「メシア(救世主)」が登場するのです。人々はこのメシアに、あのダビデのように力をもった王、イスラエルをローマ帝国の支配から解放してくれるはずのメシアとして、人々は圧倒的な統治力と権威とを期待していたのです。

 人々の歓声の中にイエスはエルサレムに入城してゆきます。ロバの子に乗って。イエスは笑顔で手を振りながら入城されたのでしょうか。いや、そうではないでしょう。私にはそのようには思えないのです。なぜならばイエスは知っていたからです。今は「ホサナ!」と大歓声を上げて熱狂的にイエスを迎えている群衆が、一週間も経たないうちに今度は「イエスを十字架に架けよ」と叫ぶようになるということを。イエスは既に三度、ご自分の受難を予告しておられました。

 マタイ福音書は既に16章の終わりで、17章の山上の変貌の出来事に先立ってこう記しています。「このときから、イエスは、ご自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。するとペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。『主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。』イエスは振り向いてペトロに言われた。『サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神の事を思わず、人間のことを思っている』」(16:21-23)。ペトロはその直前に「あなたこそ、生ける神の子です」という正しいキリスト告白をしたにもかかわらず、「サタンよ、退け!」と厳しくイエスにいさめられているのです。ペトロたち使徒たちもまた自分の求めるキリスト像を投影していただけだったということが分かります。イエスはこう続けて言われます。「それから弟子たちに言われた。『わたしについてきたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る』」(16:24-25)。

 イエスに対する人々の無理解は致し方ないものであったかも知れません。無力なメシア像など誰も想像だにできなかったのですから。見るべき面影はなく、輝かしい風格も好ましい容姿もない彼は蔑され人々に見捨てられ、多くの痛みを負い病を知っている彼はわたしたちにし、わたしたちは彼を蔑し無視していた彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた、神の手にかかり打たれたから、彼は苦しんでいるのだ彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ちかれたのは、わたしたちの咎のためであった彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によってわたしたちはいやされた」(イザヤ53:2b-5)。

 人々のイエスに対するメシアの期待が大きければ大きいほど、エルサレムで何もしようとしないイエスに対する失望は大きく、失望が怒りに変わるのに時間はそうかかりませんでした。イエスを恐れていたファリサイ派や律法学者、祭司長などのユダヤ教の指導者階級も、何とかしてイエスを失脚させて無き者にしようと考えていましたから、好機到来とばかりに、うまくその時を利用したのでありましょう。

 ルカ福音書の並行箇所では(19章)、イエスが神の都エルサレムのために涙されたと記されています。「エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。『もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである』」(41-44節)。ロバの子に乗って神の都に入ってゆかれる時にも悲しい目をしておられたに違いないと私は思うのです。もしかしたらイエスは泣きながらエルサレムに入城されたのかも知れません。

 

イエスの弁明〜「聖なる神」の御名の署名

 イエスはこれからエルサレムで起こることをすべて予めご存知でした。自分が頭にかぶるのは黄金の冠ではなく茨の冠であり、自分がまとう衣は王の高価な紫布のマントではなくてローマ兵たちによって衣類をはぎ取られバカにされながら着せられた「赤い外套」であること。着座された王の即位の場所は、王のために用意された黄金の玉座ではなくて憐れな罪人のために用意されたゴルゴダの十字架という悲しみの玉座であったことを。十字架の苦しみと恥とを最後まで耐え忍び、およそ王らしいものはすべて、それどころか人間らしいものはすべて奪われるようなかたちでイエスは黙って十字架へと架けられ、殺されてゆくのです。イザヤ書53章が預言していたように、黙って屠り場に引かれてゆく小羊のように、です。

 イエスは沈黙を守ります。逮捕された時にもまったく弁明を行いませんでした。逃げることなく、ただ黙って、沈黙の中に十字架へと架かってゆかれたのです。ただ天の父の御心に従順に従っただけなのです。ゲッセマネの園での祈りのように、自分の人間的な思いではなく、父なる神の御心が成りますようにと祈り続けたのでした。沈黙の中で主は父の御心にひたすら従っていった。それはフィリピ書2:6-8に記されている通りの姿です。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」

 私はしばしばトマス・マートン(1915-1968)の言葉を想起します。彼はトラピスト会の修道士かつ作家で、日本の禅仏教学者の鈴木大拙などとも親交があったことで知られています。「私たちが自分がなんとダメな存在なのだろうかと思うその一点こそ、神がご自身の聖なる御名を署名してくださった点である。そこには私たちのために無となってくださったイエス・キリストという聖名が記されているのだから」。私たちの破れたところ、誰にも誇ることのできないところ、むしろ隠しておきたいような弱さと恥ずかしさのどまん中に神は御自身の聖なるお名前をサインしておられるのです。私は40歳の頃、米国フィラデルフィアで「恥Shameと罪Guilt」の研究をしていたのですが、この言葉に出会った時に、私は本当に救われた思いになり、涙を禁じ得ませんでした。

 イエスは弱さや肉体の棘に苦しむ私たちの祈りに応えてこう告げてくださいます。「わが恵み、汝に足れり。わが力、汝の弱きところに現わるればなり」と。だからこそ私たちはパウロと共に、また先週るうてるホームにおいて88年間のご生涯(信仰生活62年)を終えられた藤田京子姉と共に、こう告白することができるのです。「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(2コリント12:9-10)。

 ロバの子に乗ってエルサレムに入ってゆかれる私たちの救い主、王なるキリスト。神の救いの成就のために十字架へとまっすぐに歩んでゆかれます。声なき者、無力な者、悲しみ嘆く者、世から見捨てられている者、友なき者の友として、黙って十字架へと歩まれるのです。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ!」 主イエスの沈黙と群衆の讃美の歌声がクロスして響き渡ります。力と栄光を求める私たち人間に示された神の愛は、私たちの思いとは全く異なっており、その独り子を十字架の上に賜るほどの深い愛でした。そのことを覚えながら受難週を過ごしてまいりましょう。

2017年4月 9日 (日)

2017年4月2日(日)四旬節第五主日礼拝説教「わたしは復活であり、命である」

201742日(日)四旬節第五主日礼拝説教「わたしは復活であり、命である」 大柴譲治

ヨハネによる福音書11:1−45

 25 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。 26 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」 27 マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」(ヨハネ11:25-27

 

「わたしは復活であり、命である。」

 今はレント(四旬節)。次週49日(日)よりいよいよ受難週に入ります。主の十字架への歩みに思いを向けつつ、私たちは一日一日を大切に過ごしてゆきたいと思います。

 本日の福音書の日課にはイエスがマルタとマリアの兄弟ラザロを甦らせる場面が与えられています。「イエスは彼らを愛しておられた」と記されていますが、マルタとマリアが人を遣わしてイエスのところにラザロが病気であることを伝えても、不思議なことにイエスは全く動こうとされませんでした。その結果手遅れになってしまって結局ラザロは死んでしまいます。マルタもマリアもそれぞれイエスに「なぜすぐに来てくださらなかったのか」という恨み節を語っています。主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」(21節と32節)。

 イエスはラザロを甦らせるに先立って、愛する者を亡くして嘆き悲しむマルタにこう言うのです。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、けっして死ぬことはない。このことを信じるか」と。私はこのイエスの言葉を聞くたびにいつも思うのですが、これは私たち死すべき定めにある人間には決して語ることのできない言葉であり、やがて死者の中からよみがえられるイエスにしか語り得ない神の権威を持った言葉であると思います。「わたしは復活であり、命である。このことをあなたは信じるか」。そうイエスは私たち一人ひとりの目をまっすぐに見ながら語りかけておられるのです。

 昨夜もテレビでミュージカル映画『ウェストサイド物語』を放映していました。作曲家で指揮者であったレナード・バーンスタインが1957年にミュージカルとして作曲した現代版「ロミオとジュリエット」とも言うべき名作です(映画化は1961年)。人生においては愛する者との別離ほど悲しく苦しい体験はありません。生木を引き裂かれるような痛みを伴うものです。ウラジミール・ジャンケレビッチというフランス人の哲学者は、「死」というものには「三人称の死」「二人称の死」「一人称の死」の三つがあって、次第に私たちに近づいてくると語ります。「三人称の死」とは、単数形であるか複数形であるかは問わずに、「彼とか彼女の死」であり私たちからは遠いところにある「第三者の死」のことを意味します。それに対して「二人称の死」とは「私たちにとってごく身近な者の死」であり、「私の愛するあなた(たち)の死」なのです。そして最後の課題として「一人称の死」、すなわち「私(たち)自身の死」が迫ってきます。

 また、アール・グロルマンというユダヤ教のラビはこう言っています。「親を亡くすということは自分の過去を失うということであり、配偶者を亡くすということは自分の現在を失うということ、そして子供を亡くすということは自分の未来を失うということである」と。兄弟や友人を亡くすこともおそらく配偶者同様「現在」を亡くすということなのでしょう。私たちのアイデンティティーは他者との関わりの中で深く形成されてゆきます。その関わりが失われるということは、その人との関わりの中で与えられてきた私自身のアイデンティティーが失われるということで、そのことを通して私たちは自分の心の中にポッカリと穴が空いてしまったように感じられるのです。生きるということは何と辛く悲しいことでしょうか。どれほど大切に愛し必要とし合っていても、私たちは死ぬ時は一人、徹頭徹尾孤独な存在です。歌人は歌います、「咳をしても一人」(尾崎放哉)と。グリーフケアに関わらせていただいて次第に分かってきたことは、私たちは悲しい時や苦しい時には我慢せずに自然に悲しみや憤りの涙を流した方がよいということです。悲嘆を安全に表現することができるような空間と時間、そして友(関係)が必要となる。その時嘆きを黙って受け止めてくれる存在を持つ者は幸いです。

 イエスはラザロの死を知って繰り返し激しく憤りを覚え、涙を流されます(憤り:3338節、涙:35節)。イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。『どこに葬ったのか。』彼らは、『主よ、来て、御覧ください』と言った。イエスは涙を流された。ユダヤ人たちは、『御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか』と言った。しかし、中には、『盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか』と言う者もいた。イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた」(33-38節)。イエスは何に対して強く憤られたのでしょうか。悲しみの中で人間を支配し、非人間化しようとする「死と墓の力」に対して憤られたのでしょうか。ここで「石でふさがれていた洞窟の墓」とは人の力ではどうすることもできないような「死すべき定め」であるとも言えましょう。しかし、ラザロやマルタやマリアを愛するが故にイエスは死の力にたいして闘いを布告しているのです。

 中世ヨーロッパにおいては「メメントモリ」(死を覚えよ)という言葉が合言葉のように語られていたようです。人間が持つ「死すべき定め」の中、互いに「メメントモリ」と告げ合うことを通して「カルペディエム」(今この瞬間を掴んで生きよ)ということの重要性を確認していたのです。

 

「復活」=「再起」

 「復活」(ギリシャ語で「アナスタシス」)とは「再び立つこと」、すなわち「再起」のことです。これは聖書をケセン語に訳したカトリック信徒の山浦玄嗣(はるつぐ)医師が強調していることでもあります。「七転び八起き」という言い方がありますが、「復活(再起)」とは転んでも転んでも起き上がり続けることです。キリストを信じる者は「たとえ死んでも生きる」のであり、生きていてキリストを信じ続ける者は「いつまでも死なない」とはそのような意味なのです。イエスを信じるということは苦しまなくなることでも悲しまなくなることでもありません。主が十字架を担われたように私たちは自分の十字架を担わなければならないのです。突然病いを患い、苦難を得て「神さま、なぜなのですか?」と問い続けている人もおられましょう。しかしそれでもなお、信仰を通して生死を超えたところから与えられる「七転び八起き」(アナスタシア)の生の次元が開かれてゆきます。

 主イエスは言われました。「わたしは復活(再起)であり、命である」と。そして続けられます。「わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、けっして死ぬことはない。このことを信じるか」。病いによっても死によっても奪われることのない真の命がある。ラザロをよみがえらせたキリストもまたそのように生き、そのように死んでゆかれたのです。そして三日目に死人のうちから復活(再起)されました。私たちもまたキリストの死と復活のLifeにあやかって生きる者でありたいと思います。

 本日もまた私たちは聖餐式に与ります。この食卓は終わりの日の祝宴の先取りであり、前祝いでもあります。「これはあなたのために与えるわたしのからだ」「これは罪の赦しのためあなたと多くの人のために流すわたしの血における新しい契約」と言ってパンとブドウ酒を分かち合ってくださったイエス・キリスト。生者と死者の双方の救い主であるイエス・キリストの食卓にはすべての人が招かれています。

2017年3月31日 (金)

2017年3月26日(日)四旬節第四主日礼拝説教「因果応報の呪縛からの解放

2017326日(日)四旬節第四主日礼拝 説教「因果応報の呪縛からの解放」大柴 譲治

ヨハネによる福音書 9:1-12

「弟子たちがイエスに尋ねた。『ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。』イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。』」(2-3節)

 

原因結果の法則:「因果応報」

 私たちは普段は意識していませんが、無意識のうちに「因果応報」という考え方を自明の前提としています。「因果応報」という語は本来は仏教用語でしたが、仏教に限らず、また洋の東西を問わずにどの場所、どの時代、どの宗教においてもあまねく通用するような普遍的な考え方です。英語ではそれを「causality」と言いますが、causeとは「原因、要因」という意味で、通常「cause(要因) and effect(影響)」と表現します。「因果応報」とは「すべての出来事には原因があって、その結果こうなった」という「原因→結果」という考え方です。そしてこれは科学的で論理的、かつ実証主義的(evident-based)な方法論として私たちが学校や書物や体験を通して学習してきたことでもあります。例えば、病気になれば対処のためにその原因を探り出さなければなりません。多くの場合、原因が分かればその対処の方法が明確になるからです。事故や災害でも事柄は同じです。なぜ被害が出たのか、被害は最小限に食い止めることができたのか等々、私たちは常に原因を探ります。何か予期せぬ出来事が起こったときにはその原因を調べて、それが反復されることを回避しようとする。それは人間の叡知でもありましょう。

 しかし時にこの「因果応報の考え方」が私たちを不自由にすることがあります。私たちの現実には「必ず原因がある」という考え方が徹底していますから、そこから抜け出すことができず苦しみ続けるということが起こるのです。それは「因果応報の呪縛」とも言うべき状況です。特に自分に何か悪いことが起こった時に私たちは思わず「バチが当たった」と考えがちです。「何か自分が悪いことをしたので、その結果このようなことになってしまった」と自然に考えてしまう。阪神淡路大震災でも、東日本大震災でも、突然の不幸に襲われて愛する者を奪われてしまった人たちは、喪失という深い「悲しみ(グリーフ)」と共に、「Survivor’s Guilt」と言われる悲嘆を体験します。「生き残り罪悪感」とでも訳せるでしょうか。「あの時ああしておけばよかった。ああしなければよかった。そうすればあの人は助かったかもしれない」と深く苦しみ嘆くだけでない。心の深いところで、どうして自分だけが助かってしまったのか、言葉に出すことができない次元で慚愧の思いに深く苦しみ嘆く。これもまた原因があって結果があるという因果応報の呪縛とも申し上げることができましょう。もしかしたら私たち自身も、口には出さなくても心の深い次元で、そのような悔いや無念さを抱えているのかも知れません。「結果」から遡って「原因」を探ろうとするとどうしても私たちは後ろ向きになってしまうのです。そして出口のない暗闇の中に落ち込んで悶々としてしまいます。本日の福音書の日課であるヨハネ9章にはそのような因果応報の呪縛に苦しむ者への主の解放の福音が高らかに告げられています。

 

「ただ神の御業が彼の上に現れるために」(口語訳聖書)

 本日のヨハネ福音書9章には生まれた時から目の見えない一人の盲人を主イエスが癒すエピソードが記されています。この主の奇跡が安息日に行われたということで、この後は安息日論争になってゆくのですが、本日はそこには踏み込みません。その盲人について弟子たちはイエスに重要な問いかけをします。それは因果応報についての問いでした。「弟子たちがイエスに尋ねた。『ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。』イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない神の業がこの人に現れるためである』」(9:2-3)。 

 当時のユダヤ教では不幸は罪の結果(=罰)であると考えられていました。目が見えずに生まれてきた彼は誰の罪を背負ったのかと弟子たちはイエスに問うたのです。これは深く神学的な問題を内包しています。聖書の中、特に旧約聖書の中には因果応報思想があちこちにちりばめられています。たとえば、『小教理問答』では十戒についての記述に次のようにあります。「神はこれらのすべてのいましめに対して、なんと言われますか。答 — 神は次のように言われます。『あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神(新共同訳では「熱情の神」であるから、わたしを憎むものに対しては、父の罪を子に報いて、三四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう』」(出エジプト記20:5-6)。

 しかし同時に、旧約聖書には次のような言葉もあります。「それなのにお前たちは、『なぜ、子は父の罪を負わないのか』と言う。しかし、その子は正義と恵みの業を行い、わたしの掟をことごとく守り、行ったのだから、必ず生きる。罪を犯した本人が死ぬのであって、子は父の罪を負わず、父もまた子の罪を負うことはない。正しい人の正しさはその人だけのものであり、悪人の悪もその人だけのものである。」(エゼキエル18:19-20

 「先祖が酢いブドウを食べれば、子孫の歯が浮く」という因果応報の考え方は、実は旧約聖書でもはっきりと否定されていたのです。申命記24:16にも「父は子のゆえに死に定められず、子は父のゆえに死に定められない。人は、それぞれ自分の罪のゆえに死に定められる。」とありますし、エレミヤ31:29-30等でも明確に否定されています。しかしそれにもかかわらず、弟子たち(当時の人々)は因果応報の考え方に縛られていました。何かが起こると私たちは「何か悪いことをしたからだ」とか「バチが当たった」とか思わず思いがちなのです。

 しかし、弟子たちの問いに対する主イエスの答えは、そのような因果応報思想を明確に、そして完全に否定するものでした。「イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである』」。ある意味これは革命的な言葉です。口語訳聖書では「ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである」となっていました。そうです、苦難を通して、ただ神のみわざが現れるためなのです。イエスは彼に「シロアムの池に行って目を洗いなさい」と命じました。彼がその言葉に従ってシロアムの池に行って目を洗ったところ、目は見えるようになりました。

 いずれにせよこの出来事は、苦しみの原因探しという「過去」に向いていた私たちの眼を、その苦難を通して神が何をなそうとされているかという神の御業、言うなれば「未来」へと180度向け直してくれるような画期的な出来事であり、主イエスの言葉であると思います。それは私たちを因果応報の呪縛から解放してくれるコペルニクス的な転換であり、パラダイムシフトであるのです。苦難を通して神は今ここでも働いておられる。私たちはその中に働く神の意図(意味)を意識するように促されています。

 

 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」の再解釈

 そのことは私にもう一つの深い気づきを想起させてくれます。ウァルデマール・キッペス神父がある場所でこう発言されました。自分は「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」というイエスの十字架上の言葉を、「わが神、わが神、なにゆえわたしをお見捨てになったのですか」というようにではなく、「わが神、わが神、なんのためにわたしをお見捨てになったのですか」と理解するべきではないかということを最近気づいたと言われたのです。これは私にとってはハッとさせられた天啓のような言葉でした。そこでは本日のヨハネ9章の「ただ神のみわざが彼の上に現れるために」との主イエスの言葉とつながったのです。過去の原因探しではなく、苦難を通してそこに働く神を認め、神が何をされようとしているのか未来に目を向けるよう私たちは促されているのです。私たちが信じる神は「インマヌエルの神」として、苦難の中にあっても常に苦しむ者と共にいてくださる神なのです。そのことを覚えながら、新しい四旬節の一週間を共に踏み出してまいりましょう。お一人おひとりの上に主の守りと導きとがありますようお祈りいたします。 アーメン。

2017年3月17日 (金)

2017年3月12日(日)四旬節第二主日聖餐礼拝説教「風のそよぎを感じたか?」

2017312日 四旬節第二主日聖餐礼拝 説教「風のそよぎを感じたか?」 大柴 譲治

創世記 12:1-4a / ヨハネによる福音書 3:1-17

「『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」(3:7-8

 

「四旬節(レント)」

 本日は「四旬節(レント)第二主日」。「レント」とは「(日曜日を除く)40日間」の「紫」の期節で、主の十字架への歩みに焦点を当てながら、自らを吟味し祈るときでもあります。「紫」は王の色であると共に悲しみの色、罪の苦しみの色でもある。主イエス・キリストが私たちを救うために私たちの憂い哀しみをすべてその身に背負って十字架へと歩んでくださったことを覚えつつ、本日もみ言葉に耳を澄ませてまいりましょう。

 

アブラハムへの神の祝福の言葉

 本日は創世記12章からアブラハムに対する神の祝福の言葉が与えられています。ここで「アブラハム(諸国民の父)」は「アブラム(群衆の父)」という古い名前で呼ばれていますが、彼は神からの召し出しの声を聴くのです。気がつくといつも私たちの人生のドラマは神の声によって始まります。

 「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源(口語訳では「祝福の基」)となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。』アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った」(12:1-4a)。アブラハムは神の言葉を聴くとためらわずにすぐに従ってゆきます。「あなたの息子イサクを献げよ」という神の命にも彼がすぐさま沈黙の中で服従していったことを私たちは知っています(創世記22章)。

 実は本日の旧約の日課は4節の前半までなのですが、後半にはこのような言葉があります。「アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった」(12:4b)。75歳の旅立ち」です。これは私たちにいくつになっても人生での新しい旅を始めることができると教えている福音なのかもしれません。「生まれ故郷を離れる」ということは、家族と旅に携えてゆくことができる程度の身の回りのもの以外は、それまで自分たちが築き上げてきた大事なものを含めてほとんどすべてを後に残してゆくということです。言い換えればそれは「すべてを捨て、すべてを犠牲にしてゆく」ということでもあります。今はやりの言葉で言えば「断捨離」です。大きな犠牲を払ってアブラハムは神の命に従ってゆくのです。この「祝福の源・基」であるアブラハムの決断と犠牲と神を神とする信仰を通して、多くの人が神の祝福に与ることができるようになるのです。「信仰の父」と呼ばれるアブラハムの面目躍如の出来事であり、それは服従の第一歩でした。

 旅に出るとは先に何が起こるか分からない危険をも覚悟するということでありましょう。神の守りと導きに信頼して第一歩を踏み出してゆくのです。確かにアブラハムは「行き先を知らないで旅立った」のです。目的地もその旅程も何も知りませんでした。「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです」(ヘブライ11:8)。「信仰」とは「神が望んでいる事柄を確信し、神の見えない恵みの事実を確認すること」(同11:1だからです。私たちはアブラハムの信仰を知るときに大きな勇気を与えられます。彼は神の言葉に信頼してそこにすべてを賭けたのです。本日の第二日課でパウロが「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」と告げている通りです(ローマ4:3)。「信仰」というと「信じて(神を)仰ぐ」と書きますので何か人間の行為のように感じるかも知れませんが、そうではありません。「信仰」(ピスティス)とは私たちの中に働く神の「まこと(信実)」なのです。そしてそのことは、突然そのような生き方がアブラハムに可能となったということではなくて、それまでも同様に、彼が神を第一として生きてきたということなのでしょう。何歳になっても私たちの人生というドラマは、神のイニシアティブの中で始まり、神のイニシアティブによって導かれ、神のイニシアティブの中で終わります。ちょうど四旬節の歩みが、先週の日課(マタイ4:1-11)では神の「霊」によってイエスが荒野に導かれたところから始まったように、神の霊が私たちの信仰の人生を守り導いているのです。

 

「お前は風のそよぎを感じたか?」

 人生は山あり谷ありです。実際にアブラハムとその親族たちの人生は波瀾万丈に富むもの、試練の連続でした。飢饉のためエジプトに寄留したこともありましたし、ソドムに住んだ甥のロトはソドムの滅びまで体験しました(創世記19章)。その際にロトの妻は後ろを振り返ったために塩の柱になってしまったのです。聖書はどのような時にも私たちが神との生きた関係の中で生きてゆくように、「神からの聖霊の風」を感じながら、その導きに身を委ねて歩んでゆくように招いているのです。

 聖書で「霊」と「息」とも「風」とも訳されます。ヨハネ3章にも「風は思いのままに吹く」とありました。「風」と聞くと私は「剣聖」と呼ばれた剣豪・宮本武蔵を思い起こします。ムサシは若い頃には手が付けられないほどの暴れん坊で、武者修行のためと称して道場破りを繰り返したようです。ある時ムサシは柳生石舟斎という剣の達人に出会います。そこで彼はコテンパンに負けてしまうのです。破れて呆然とするムサシに石舟斎は問いかけます。「お前は風のそよぎを感じたか。鳥の声を聴いたか。小川のせせらぎが聞こえたか」。ムサシはこの言葉にハッとするのです。相手を負かしてやろうという思いだけで精一杯だったからです。石舟斎に言われて初めてムサシが周囲の世界を意識すると、そこには確かに風のそよぎや鳥の音、小川のせせらぎがありました。「自分が、自分が」という自分だけの世界に閉じこもっていた時には感じられなかった次元が突然見えてきたのです。ムサシの頑なな心が打ち砕かれて世界に向かって開かれた瞬間でした。人は自分の中の世界に生きるのではない。事実は逆なのです。世界の中に人は置かれているのであって、人はそこから様々な働きかけを受けており、豊かな繫がりの中に生かされているのです。主体のコペルニクス的転換であり、モノローグからダイアローグへの劇的な転換です。「風は思いのままに吹く」という主イエスの言葉は、そのような「風の中に風じて生きること」を意味します。自分が開かれるとき、柔らかい陽光の中で、私たちに向かって風がそよぎ、雲がたゆたい、小鳥がさえずり、野の花が咲き、木の香りがし、小川のせせらぎや雨の音が聞こえてきます。聖書で「罪」とは「神との関係の破れ」を意味しますが、キリストがもたらしてくださった神との和解は自己との和解と共に神が創造された被造世界との和解でもあるのです。もはや自己の固い殼の中に閉じこもって生きる必要はない。苦しみや悲しみはなくならないかもしれませんが、神が創造された世界とつながって明るい恵みの光の中で生かされていることに目が開かれてゆきます。これは揺るぐことのない神の恵みの事実です。あの3.11東日本大震災から昨日で6年が経ちました。生きることは何と悲しみや苦しみが多いことでしょう。しかし信仰の父アブラハムは私たちに、いつどこでも「神からの聖霊の風」が吹いていて、その「いのちの息吹」を感じて生きることを教えています。だからこそ彼は私たちにとっても「祝福の源」であり「祝福の基」なのです。その神からの風、「神のまこと/信実/ピスティス」はいついかなる時にも、どこにおいても共にあり、私たちを守り導いてゆきます。その風のそよぎを感じつつ新しい一週間を踏み出してまいりましょう。

2017年3月 7日 (火)

2017年3月5日(日)四旬節第一主日聖餐礼拝説教「悪魔の誘惑、神の試練」

2017年3月5日(日) 四旬節第一主日聖餐礼拝説教「悪魔の誘惑、神の試練」 大柴譲治

創世記2:15-17, 3:1-7/ローマの信徒への手紙5:12-19/マタイによる福音書4:1-11

イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」(マタイ4:4

 

「レント(四旬節)」

 教会で用いている「教会暦」によると本日から(より精確には先週の「灰の水曜日」から)「レント(四旬節。かつては「受難前節」とも呼ばれていたこともあります)」と呼ばれる「(日曜日を除く)40日間」の、「紫」の期節(主の十字架への受難の歩みに焦点を当てながら、自らの罪を吟味しつつ祈る期節)が始まります。典礼色は「紫」。それは王の色であり、悲しみの色であり、罪を担う苦しみの色でもあります。

 

コップ半分の水のたとえ〜”half empty””half full”

 コップに水が半分入っているのを「もう半分しかない」と見るか、「まだ半分も入っている」と見るか、二つの見方があります。その二つの立場は、「コップ半分の水」という一つの現実のどこを見ているかによって分けられるのです。「もう半分しかない」という見方は、実は100を基準にして50%しかないではないかと、上の「空っぽの部分」に注目しているのです。それに対して「まだ半分もある」という見方はゼロを基準にしていて、50%も入っているではないかと下の入っている部分を見ているのです。英語で言うとさらに明確になります。「half empty(半分空っぽ)」と「half full(半分満杯)」となる。どこを基準にして、どちらの部分を見て生きるかに私たち一人ひとりの生き方が表れています。ゼロを基準に取ることができれば、私たちはずいぶんと楽になれるのです。

 何か苦しい出来事が起こった時、苦しみの中で私たちは「なぜこのような苦難がわたしに起こるのか」とか「神さま、あなたはどうして沈黙しておられるのか」、「自分が生きることの意味はどこにあるのか」と問うて苦しみます。「全く意味はない」という絶望的な思いと、「いや、きっとそこには意味があるに違いない」という思いの間で、私たち人間は行きつ戻りつ揺れ動きながらも、最終的には二つの極に辿り着いてゆくのです。「苦しみの中で絶望する」か、「苦しみの中でも絶望せずに希望を見出し続ける」のか、その二極です。苦しみの中に意味を見出すとは、苦しみを通して新しいものがそこから生じてゆくはずだと考えることであり、苦しみを「産みの苦しみ」と受け止めてゆくということでもありましょう。苦難の意味を見出せない時に、私たちはさらに苦しみます。一体何が二つを分けるのでしょうか。

 本日与えられた聖書では、創世記からはアダムとイヴが神の命を忘れてヘビの誘惑に負ける場面と、マタイ福音書からは主イエスがサタンの誘惑を神のみ言葉(それもすべて申命記からのみ言葉です)をもって撃退する場面が日課として与えられています。アダムとキリストは悪の誘惑に対してのリアクションにおいて、全く異なる二つの極に別れているのです。ローマ書5章でパウロは、アダムによってもたらされた罪の現実がイエス・キリストの義によって既に打破されていることを高らかに宣言しています。

 

「誘惑」と「試練」からの逃れの道

 苦難を「滅びへのサタンの誘惑」と見るのか「霊的な成長への神の試練」と見るのか。この二つの見方は私たちの中に両方ともあって同居しているのです。コインに裏表があるように物事にも両面ある。私たちはある時には「水はもう半分しかない」と絶望的にしか考えられないことがあるし、ある時には逆に「まだ半分もある(残っている)」と楽天的に見てゆくこともある。

 確かに人生には私たちの楽観を許さないような厳しい出来事が時として起こります。この苦しみはサタンの誘惑にしか見えないという出来事が起こるのです。突然の事故や災害、病気や犯罪などによって私たちの幸せは打ち砕かれてゆくことが起こります。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なにゆえわたしをお見捨てになったのですか!)」と叫ぶ以外にないような現実が起こります。しかし神はこの苦しみの中で私の叫びに答えずに沈黙している。ヨブ記などはまさにそのような人間の現実を表しています。苦難は私たちに自分の無力さを教えてくれる。つまり自分は「ゼロ」であり、「無」でしかないことを教えてくれるのです。

 イエスは洗礼の後すぐに、「霊に導かれて」荒野に赴きます。それは「悪魔から誘惑を受けるため」であったと記されています。「誘惑者(=悪魔=サタン=ヘビ)」の誘惑を受けました。主はこれに対して3回とも申命記の言葉を持って退けています。断食後の空腹を狙った「石をパンに変えてみよ」という誘惑に対しては、「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある」(マタイ4:4、申命記8:3)。「高い所から飛び降りてみよ。神が天使たちを送って助けると聖書に書いてあるではないか」という神の言葉を持ち出しての巧妙な誘惑に対しては、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」(マタイ4:7、申命記6:16)。高い山の上での「わたしを拝めばすべてを与えよう」という誘惑に対しては、「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」(マタイ4:10、申命記6:13)。

 悪の誘惑に勝利するには神のみ言葉に拠り頼む以外にはない。私たちはこのことを心に刻みつけねばなりません。み言葉を離れては死と滅びしかない。もしかしたら、神のみ言葉を離れる時、キリストのことを忘れるとき、既に私たちはもうサタンの術中にあるのかもしれません。神は試練に耐える力を神のみ言葉を通して、キリストを見上げることを通して与えてくださるのです。主は苦難の生涯を貫いて天の父なる神をまことの神とし続けたお方でした。この「生ける神のみ言葉」に聴き従う時、「サタンの滅びへの誘惑」がそのままで「永遠のいのちを得るための神の試練」である事に私たちは気づかされてゆきます。本日の福音書は、主ご自身が私たちのために、私たちに代わって悪魔の誘惑を受けてくださったと本日の福音書は告げています。ご自身を「無」とされ「ゼロ」とされて、すべてを天の父の御心に委ね切られた主イエス・キリスト。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ!」と十字架の上で叫ばれた時にも、天の父との関係はビクともしない揺るがぬものでした。人生の試練の中にあってもこのお方が私たちと共にいてくださいます。

 パウロの言葉を思い起こします。「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(1コリント10:13)。この「試練からの逃れの道」こそ、私たちに与えられた主イエス・キリストの道です。そのことを覚えながら、この新しい一週間をもご一緒に歩んでまいりたいと思います。主がお一人おひとりと共に歩んでくださいますように。アーメン。

2017年3月 1日 (水)

2017年2月26日(日) 主の変容主日聖餐礼拝説教「光輝く主の姿」

2017226日(日) 主の変容主日聖餐礼拝 説教「光輝く主の姿」      大柴 譲治

出エジプト24:12−18 / 2ペトロ1:16−21 / マタイ福音書17:1−9

「ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、『これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け』という声が雲の中から聞こえた。」(マタイ17:5

 

「節目」の出来事〜主の山上の変容(変貌=Transfiguration

 人生には「節目」というものがあります。「節目」とは、「それ以前」と「それ以降」とを明確に区切る「分水嶺」のような「時」のことです。本日私たちに与えられているのは「教会暦」において一つの大切な「節目」の出来事です。これまでのおよそ二ヶ月は、16日(金)の「顕現日」(東方からの学者たちが幼子イエスのもとを訪れた日)から始まった「顕現節」(神の栄光が異邦人にも顕現したことを覚える「白」の期節)でしたが、本日の「山上の変貌」の出来事で一つの区切りを迎え、次週からはいよいよ「レント(四旬節、かつては「受難前節」とも呼ばれました)」と呼ばれる「(日曜日を除く)40日間」の、「紫」の期節(主の十字架への歩みに焦点を当てて自らを吟味しつつ祈る期節)が始まります。本日がそれを分ける「節目」の主日となります。

 本日の「山上の変貌」の出来事では、十字架へと踏み出して行くイエスが、旧約聖書の「律法」を代表するモーセと「預言者」を代表するエリヤと「高い山」の上で親しく語り合ったことが記されています。「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた」2-3節)。この出来事はイエスの生前において唯一回、神の独り子としての栄光の姿、それは復活の勝利の姿ですが、その白く輝く栄光の姿が三人の弟子たちの前に、彼らに見えるかたちで顕されたという大切な出来事でもあります。「光輝く雲が彼らを覆った」とありますが、聖書で「山」は神顕現の場であり「雲」とは神の臨在を意味しますから、神がそこで彼らと共におられたことを意味しています。そして天からの声が雲の中から力強く響き渡るのです。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」(5節)。これは決定的な出来事でした。これからまさに十字架への具体的な歩みを始めようとするイエスに対して、神が「よし、行け!」と後ろから背中を押したようなものです。ヨルダン川でイエスがヨハネから洗礼を受けた時にも天からの声が響きました(マタイ3:17)。マタイ福音書によればそれは「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声であり、本日の声とほとんど同じです。ただ違うのは本日は最後に「これに聞け」という一語が追加されているということです。この言葉に明らかなように、私たちはどのような中にあっても「ただイエスに聴く」ことが天から求められているのです。私たちの人生にもそれぞれ「節目」と呼ぶべき出来事がありますが、その節目節目で、要所要所で私たちは、ただイエスに思いを向け、耳を澄ませて、イエスの言葉に耳を傾けてゆくのです。私たちが毎週日曜日、週の初めの日にこのように主日礼拝に集ってイエスの言葉に耳を傾けてゆくのも、また、本日も礼拝後に婚約式が行われますが、人生の冠婚葬祭という節目節目、要所要所で主のみ言葉に耳を傾けてゆくのも「これ(イエス)に聴け」と神が呼びかけてくださっているからです。私たちは今年、大阪教会の宣教百年と宗教改革500年の節目の年を迎えていますが、宗教改革500年のバナーに「初めに言葉があった」と記されているのも、ルターが「聖書のみ」と言ってただ神のみ言に聴くことを強調したように、イエス・キリストという「神の生けるみ言」に耳を傾けてゆきたいと思います。

「新しいエクソドス(出エジプト)」

 本日の旧約聖書の日課(出エジプト24章)には、モーセがシナイ山に登ってゆく場面が記されています。シナイ山においてモーセは神から神とイスラエルの民の間の「契約」として「十戒」を与えられてゆくのです。「モーセが山に登って行くと、雲は山を覆った。主の栄光がシナイ山の上にとどまり、雲は六日の間、山を覆っていた。七日目に、主は雲の中からモーセに呼びかけられた。主の栄光はイスラエルの人々の目には、山の頂で燃える火のように見えた。モーセは雲の中に入って行き、山に登った。モーセは四十日四十夜山にいた」24:15-18)。

 福音書の日課の「山上の変貌の出来事」では、「新しいモーセ」としてのキリスト・イエスの姿が示されています。「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」2節)。ここではイエスが神の栄光を宿すような、まばゆく白く輝く姿で示されています。しかし私たちは知っています。主イエスの栄光の姿が地上において示されたのは十字架に至るまででは後にも先にもこの場面唯一度きりであったということを。ベツレヘムのまぶねの中に始まってゴルゴダの十字架の上に至るまでイエスはその光り輝く栄光の姿を隠した姿でこの地上の最も低いところを歩まれたのです。フィリピ書2章のキリスト讃歌が告げる通りです。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順」(フィリピ2:6-8)でありました。それは何のためか。それは私たちを罪と恥と死の暗い深淵から救い出すためだったと聖書は語ります。

 キリストは自分を無にすること、捨てることによって、私たちにすべてを与えて下さったのです。ご自身の義を私たちの罪と、ご自身の栄光を私たちの恥と、ご自身の喜びを私たちの悲しみと、ご自身の救いを私たちの滅びと、ご自身のいのちを私たちの死と、交換して下さったのです。それをルターは「喜ばしき交換」と呼びました。私たちの誰も、その出来事の中に私たちのための「救い」が備えられているということに気づかなかったのです。

 ルカ福音書の並行箇所を読むと、そこにはイエスがモーセとエリヤと何を話していたかに言及されています。「この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた」(ルカ9:28-31)。「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期」とは「十字架の出来事」です。「最期のこと」と訳されているギリシャ語は「エクソドス」という語です。「エクソドス」と聞いてピンと来る方もおられましょう。それは「エクス・ホドス」即ち「出て行く道」(「脱出路」とか「突破口」とも訳されます)で、『出エジプト記』のことを英語では「エクソドス」と呼びます。十字架の出来事は私たちを罪と死と滅びから解放するための「新しいエクソドス(出エジプト)」だったということがルカ福音書でははっきりと告げられています。

 「最も小さな者の一人」になられた「み子なる神」

 天においては神と等しかったお方がこの地上に降り立ち、最も小さき者の一人として歩まれました。マタイ25章で主は、「あなたがたは飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」と告げられます。私たちが主ご自身のご生涯を思い起こすとき、主はしばしば飢え渇き、枕するところのない旅人であり、人々の病いを背負い、牢獄のような過酷な現実の直中で裁きを受け、裸にされて十字架に架けられたお方であることを私たちは知っています。この世に生きることの苦しみを主はトコトンなめ尽くされたのです。この地上の最底辺、どん底を歩まれました。何のために? それは私たちをそのようなどん底からすくい上げるためでした。英語で「理解する」という意味でunderstandという語を使いますが、これは「under下に」「stand立つ」ということです。最も小さき者の一人として主はすべての者の下に立つことによって人間の窮境を知り、苦しみを理解し、そこからの突破口、脱出路を十字架に開いてくださったのです。そのことを覚えつつ、主イエスを仰ぎながら共に新しい一週間を踏み出してまいりましょう。

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