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2018年12月24日 (月)

2018年12月23日 聖降誕主日洗礼・堅信・聖餐礼拝説教「永遠と今との接点」

20181223日 聖降誕主日洗礼・堅信・聖餐礼拝  説教「永遠と今との接点」   大柴 譲治

イザヤ書 916

闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。・・・ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。15節)

ルカによる福音書 2114

天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」10-11節)

 

クリスマスの喜び

 クリスマスおめでとうございます! アドヴェントクランツのすべてのロウソクが点されました。待ちに待った日がやってきたのです。今日は主のご来臨を祝う日です。アドヴェントの期間の悔い改めを表す「紫」の色から神の栄光を現す「白」へと典礼色は変えられました。「白」はすべての色を反射させて白く輝いています。山上の変貌の出来事の中でイエスがどんなさらし職人の腕も及ばぬほどの「白く輝く姿」で、旧約を代表するモーセとエリヤと親しく語り合ったことが福音書には記されていますが、「白」はそのように神の栄光の姿を表しています。「白」は光輝く光の色でもあります。「光あれ!」(創世記1:2)と言って天地創造を始められた神が、イエス・キリストにおいて再び闇の中に光を創造されたのです。

 本日の第一の日課、イザヤ書9章は高らかに告げています。闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。・・・ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる15節)。驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」。ヘンデルのメサイアではWonderful Counselor, Almighty God, Eternal Father, Prince of Peaceとなっていました。主キリストは「ワンダフルカウンセラー」なのです。

 ルカ福音書は野宿をしていた羊飼いたちに主の天使が近づき、主の栄光が光輝く中で、天使がこう告げました。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」10-12節)。すると、突然に、この天使に天の大軍が加わって神への讃美の歌声が響きます。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」という歌声が

 

もしクリスマスがなかったとしたら

 「もしもクリスマスがなかったとしたら」と最近私はよく考えます。それはどれほど寂しく味気のないものであったことであろうかと思うのです。イエスがこの地上にお生まれにならなかったとしたら、キリスト教は存在せず、キリスト教会もなく、私たちも人生においてイエス・キリストという救い主と出会うことができなかっただろうと思います。血縁でも地縁でもなく、「聖霊縁」「キリスト縁」とも呼ぶべきかたちで、私たちは私たちの人生においてキリストと出会い、キリストによって呼び集められてこの日本福音ルーテル大阪教会に集められています。そして、本日も三人の方の洗礼式が行われますが、キリストを救い主として信じて洗礼を受けてきたのです。もしもクリスマスがなかったとしたら、イエス・キリストがこの地上に誕生されることがなかったら、私たちは未だに出口のない闇の中に捕らえられていたことでしょう。そのように思うとゾッとします。反対にクリスマスは闇の中に光が射し込んだことを教えています。この地上にみ子なる神がお生まれになったということは、この世の闇のどん底にまで神の救いの光が届いたということです。その光が届かない闇の深淵はもはや存在しないということです。「闇はこれに勝たなかった」とヨハネ1:5にある通りです(口語訳1955と聖書協会共同訳2018。この光は私たちの希望の光です。

 イエス・キリストにおいて永遠なるものがこの地上に降り立たれました。キリストが生きられたあの33年ほどの時間とは「神の救いの歴史の中心」であり、「時の中心」(コンツェルマン)とも言えましょう。イエス・キリストにおいて神が人となった、永遠なる世界(天)がこの世界(地)に接したということです。あの十字架が縦軸と横軸がクロスしているように、キリストは天と地の接点であり、永遠と今この時との接点でもあるのです。今ここで私たちが生きているということは、永遠なるお方とつながって生きるということでさり、「永遠の今」を生きているということです。パウロはそのことを「私たちの国籍は天にあり」と言いました(フィリピ3:20。新共同訳は「私たちの本国は天にあります」)。私たちはキリストと共に、今ここで、地上と天上の二重国籍を同時に生きているのです。今ここで、神とつながって永遠の今を生きていると申し上げることができましょう。

 もしもクリスマスがなかったとしたら、イヴ礼拝もクリスマス礼拝もなかったことでしょう。私たちに深い慰めをもたらすクリスマスの讃美歌(キャロル)や、バッハやヘンデルなどの優れた宗教音楽も存在しなかったことになりましょう。今夜は大阪コレギウム・ムジクム(大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団)による特別なクリスマスコンサートがこの場所で行われます。シュッツ合唱団は昨年讃美歌のCDを出されましたが、今回もこの第二弾を出されました。このCDにはクリスマスキャロルがたくさん入っていて深く慰められます。もしクリスマスがなかったとしたらこのような慰めに充ちた音楽もすべてなかったことになりましょう。これは音楽の好きな者としては耐えられないのではないでしょうか。

 私は前の教会(東教区のむさしの教会)にいた時にクリスマスイヴの礼拝は東京バッハアンサンブルによる音楽讃美礼拝として毎年守ってきました。もう50年以上前から守ってきたのです。それは、池宮英才(いけみやひでとし、1924-2003という東京女子大学の教授で、指揮者をされていた方が教会の中心メンバーの一人として始められたものでした。池宮先生は毎年、ヘンデルのメサイアをフルオーケストラと合唱で48年にも渡ってオペラシティーや人見記念講堂などのコンサートホールで開催してこられた方でもありました。また30年にも渡って指揮をした明治学院大学のグリークラブによるバッハのクリスマスオラトリオなど、音楽を通して神さまへの讃美の歌声を奏でてこられた大変にエネルギッシュな音楽家でした。「音楽家」というあだ名があったルターは巧みにリュートを弾いたそうですが、ルターの言葉として次のようなものが伝えられています。「音楽は神から与えられた最上の賜物の一つであり、悲しむ者の心を慰め、その呼吸を楽にしてくれる。そして悪魔の力もこれに勝たない」。私たちが天上からのクリスマスキャロルに声を合わせて歌う時には、悪魔の力も音楽の力に勝たないのです。

 

三人の受洗者〜天における喜びの祝宴に与る

 本日はKS兄、SC姉、SY姉の洗礼式がこの後に行われます。古い自分が死んで、キリストと共に新しい自分が誕生する、洗礼とはそのようなうまれかわりと再生の出来事です。そしてその後で聖餐式が行われます。それは「ワンダフルカウンセラー」であるキリストが私たちのために与えてくださった天の祝宴の先取りであり、前祝いであります。その「サクラメント(洗礼と聖餐という二つの聖礼典)」において私たちは永遠と今との接点をまことに恵み深いものとして味わうのです。パウロが言うように、「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」です(2コリント6:2)。そのような恵みの時が、今ここで私たちに与えられていることを神に感謝し、共に神を讃美したいと思います。お一人おひとりに、メリークリスマス! 神の祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。 アーメン。

 

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