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2018年12月 4日 (火)

2018年12月2日(日)待降節第一主日礼拝説教「いつも目を覚まして祈りなさい」

2018122日(日) 待降節第一主日礼拝説教「いつも目を覚まして祈りなさい」    大柴 譲治

ルカによる福音書21:25〜36

「はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。・・・しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」(32-33, 36節)

 

待降節(アドヴェント)第一主日に

 本日私たちは待降節第一主日の礼拝を守っています。実は教会で用いられている暦(「教会暦」と呼びます)が今週から一年が新しく始まるのです。いよいよクリスマスの四週間前、アドヴェントが始まりました。典礼色は悔い改めの色であり、王の色でもある「紫」です。アドヴェントクランツが点されましたが、クリスマスまでの期間、私たちは私たちに近づいてこられる主の到来に備えて自らを省みてその備えをしてゆくのです。

 

「オリエンテーション〜「義の太陽」が昇る方位(=東)に向きを定める

 教会暦において私たちは、一年の始まりをイエス・キリストに向けて身を向け、心を整えるところから始めます。「オリエンテーション」という言葉がありますが、もともとこれは「オリエント(東方)」の方向を確認して自らの方位を東に向けるという意味の言葉です。歴史的に見ると、教会の建物は通常東を向いて建てられています。ドイツのブラウンシュヴァイクの大聖堂もそうでした。そうでない場合にも、教会の正面を「東」と呼ぶ習慣がありました。そうです、「東」は太陽が昇ってくる方向で、私たちの「義の太陽」であるキリストが昇ってくる方向に向けて教会は建てられているのです。私たちもまた毎週の主日礼拝において東方を向いてキリストを仰いで礼拝を守っているということになりましょう。方向を指し示すコンパスが地球の地磁気に反応して北を向いてピタッと止まるように、私たちの魂は神さまの方向を向いてピタッと止まるように最初から造られているのです。アウグスティヌスは『告白』という本の最初の部分でこう言っています。「神よ、あなたは私たちをあなたに向けて造られました。ですから私たちの魂は、あなたのうちにやすらうまで平安を得ることはできないのです」と。

 本日の旧約の日課であるエレミヤ書33章はそのような私たちの魂が神の方向を向いて造られているということを示しながら選ばれているのだと思われます。「見よ、わたしが、イスラエルの家とユダの家に恵みの約束を果たす日が来る、と主は言われる。 その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める。その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、『主は我らの救い』と呼ばれるであろう」エレミヤ33:14〜16)。

 

「世界の終わり」の預言

 本日与えられている福音の日課には「終末」の預言がなされています。この世界はやがて終わりを迎えることが告げられているのです。「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る」25-27節)。読んでいると私たちが不安になるような言葉です。しかし、イエスは逆のことを言います。「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ」28節)。そしてイエスはいちじくの木のたとえを話されるのです。「それから、イエスはたとえを話された。『いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい」29-31節)。「はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」32-33節)。私たちには天地が滅びようとも決して揺るぐことのない足場(「キリストの声/神の言」)が与えられているということを告げているのです。「はっきり言っておく」とは「アーメン(然り/真実)、わたしは言う」という言葉です。

 続いてイエスは弟子である私たちにも警告しています。「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである」34-35節)。心が鈍麻しないように、ボンヤリしないように気をつけなさいと言うのです。そして言われます。「しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい36節)。「人の子」とはイエスがご自身を呼ぶときの特別な称号です。「あなたがたはどのようなことが起ころうとも、キリストの前に立つことができるように準備をしていなさい。いつも目を覚まして祈りなさい」とイエスは私たちに命じておられるのです。

 「祈る」ということは「神の方向に心を向ける」ということでありましょう。「いつも目を覚ましている」とは、ちょうど礼拝堂が東を向いて建てられていて私たちがキリストの方向に身を向けるように、神の方向に私たちが身を向けて(「オリエンテーション」)、自らを吟味しつつ、主の到来に向けて備えをするということだと思われます。

 

「第一のアドヴェント」と「第二のアドヴェント」の間を生きる

 「アドヴェント」とはラテン語で「到来すること、向こうからこちらに近づいてくること」を意味しますが、聖書では主の二つの到来が告げられています。一つは二千年前にベツレヘムで起こった主イエス・キリストの降誕の出来事です。クリスマスの出来事ですね。それを私たちは「第一のアドヴェント(到来)」と呼ぶことができましょう。もう一つは「終わりの日のキリストの再臨」です。これが主の「第二のアドヴェント(到来)」です。私たちは今ここに「第一のアドヴェント」「第二のアドヴェント」の間の時を生きていることになります。

 未来を「待つ」ということ、「待望する」ということはとても大切な事柄です。入学や卒業、就職や昇進、結婚や出産、健康の回復などの「グッドニュース(福音)」を私たちは待ち望みますし、それらの上に神さまの祝福が豊かにあるようにと私たちは祈ります。私たちは周囲には厳しい現実があることを十分知っているからこそ「よいニュース」を待ち望むのです。ある一定の方向(キリストの方向)に身を向けながら、「希望」をもって「未来」を待ち望むのです。万物が揺らぐとも、キリストという私たちの基盤は決して揺らぐことはありません。北半球ではクリスマスが闇の一番深く寒い冬に祝われることも、意味あることなのでしょう。「冬来たりなば、春遠からじ」なのですから。闇が深ければ深いほど、その底に届いた神の救いの光は尊いものに思われます。万物流転のこの世にあって、決して揺らぐことのない神の救いの光に向かって、いつも目を覚まして共に祈り続けたいと思います。

 お一人おひとりの上に天からの祝福が豊かに注がれますようにお祈りいたします。 アーメン。

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