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2018年7月16日 (月)

2018年7月15日 聖霊降臨後第8主日礼拝説教「殉教者ヨハネ」

2018715日  聖霊降臨後第8主日礼拝 説教「殉教者ヨハネ」      大柴 譲治

マルコによる福音書 6:14〜29

イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」(14節)

 

北海道特別教区の日本福音ルーテル帯広教会、池田教会、釧路教会を訪問して

 人生は出会いです。先週もこの言葉で説教を始めさせていただきました。先週私は久しぶりに北海道に足を運ぶ機会を得ました。それは教区長たちと共にJELC帯広教会、池田教会、釧路教会を訪問するためでした。今回この三つの教会を訪問させていただいたのは、そのうちの二つ、池田教会と釧路教会が来年のペンテコステまでに礼拝堂を閉じることになっていたからです。歴史の節目に当たり、そこを訪問して感謝の祈りを捧げることが大きな目的でした。実は私は2006年と2007年の2月にも北海道の諸教会を訪問しています。当時の東教区常議員会で北海道特別教区との今後の姉妹関係を探るために現地に足を運んだのです(立山忠浩先生が東教区長の時代でした)。厳しい北海道の冬を体験する必要があると考えて、真冬の訪問でした。北海道はまだ冷たい雪景色の中にありました。

 私自身が牧師となるために与えられた召命は、釧路教会の牧師であった合田俊二牧師との出会いと別れが大きく影響しています。出会いと言っても直接にはただ一度だけの出会いでした。19773月に按手式が静岡教会で行われた際に、学生時代藤枝に帰省していた私は母と一緒にそれに参加したのです。そこでは合田俊二牧師、村松由紀夫牧師、東和春牧師の三人の牧師が按手を受けて誕生しました。そして三人はそれぞれ任地を与えられ、合田牧師は釧路教会に旅立って行かれたのでした。それから3年が経ち、私は三鷹の日本ルーテル神学大学(現在はルーテル学院大学)で学び始めました。1980年の初夏、合田牧師は牧師となって3年が過ぎたところで、結婚して半年、30歳という若さで悪性のスキルスガンに倒れ、地上での生涯を終えることになります。釧路教会からルーテル神大の学生となっていた青年が合田先生は病床でこう叫ばれたということを伝えてくれました。「オレはまだ死にたくない。やることが残っているんだ!」と。その言葉を契機として、私自身は牧師としてのコールを受けることになります。私はそこに「お前がその後を引き継げ」という神の声を聴き取ることになりました。それ以来、私の中でその声は響き続けています。今回は牧師としての召命の原点とも言うべき釧路教会を、2007年に続いて二度目に訪問することになった次第です。このような人と人との出会いを通すかたちで神はその信仰のバトンタッチをしてゆかれるのでしょう。本日は福音書の日課に殉教者ヨハネのことが記されていますが、私にとって合田俊二牧師は殉教者ヨハネの姿と重なっています。もっともヨハネは「オレはまだ死にたくない。やることが残っている!」という気持ちではなく、「自分が果たすべきことは成し遂げた。悔いはない」という思いをもっていたかも知れませんが・・・。人生イロイロです。

 

殉教者ヨハネ

 洗礼者ヨハネは領主ヘロデ・アンティパスによって首を切られます。ヨハネはヘロデの結婚を非難した罪で捕らえられて、ヘロディアの娘(サロメという名前で一般に知られていますが、聖書にはその名は出て来ません)の踊りの褒美に首をはねられて処刑されたのでした。ヘロディアはヨハネを恨んで殺そうと思っていましたが、ヘロデ自身はある意味ヨハネを正しく評価していたようです。マルコ6:19-20にはこうあります。そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである」。ここを読むと私たちは人間の持つ救いようもない闇の深さを思わされます。私たちは自己中心という罪に満ちているのです。

洗礼者ヨハネがどのような人物であったかは福音書に記されています。ルカ福音書によると、ヨハネの母エリサベトとイエスの母マリアは親戚でした(ルカ1:36)。同福音書では、ヨハネは天使ガブリエルよってその誕生を予言されています。マタイ福音書3章によればヨハネは、「らくだの皮衣を着、腰に革の帯をしめ、いなごと野蜜を食べ物」とする人物でした。ヨルダン川河畔の「荒野」「神の国」が近づいたことを人びとに伝え、人びとに「悔い改め」を迫って、罪のゆるしに至る「洗礼」を授けていました。西暦28年頃と推測されますが、ナザレのイエスもヨルダン川でヨハネから洗礼を授けました。イエスはこの後に、ヨハネによって始められた「荒野での洗礼活動(荒野の誘惑)」に入っていると考える人もいます。その立場に立つならば、イエスはヨハネから洗礼を受けることで「ヨハネの弟子」となったのです。洗礼者ヨハネはイエスの先駆者として「荒れ野で叫ぶ声」として位置づけられています(イザヤ40:3、マラキ3:1)。なお、ヨハネ福音書1:35によれば、他の福音書でイエスの最初の弟子とされるシモン・ペトロの兄弟アンデレは、以前はヨハネの弟子であったとされています。そこではアンデレがイエスのもとに兄弟ペトロを連れて行ったことになっています。マタイ福音書に拠れば、実際にヨハネとイエスはその公的な活動を同じ言葉で始めています。「悔い改めよ、天の国は近づいた」(マタイ3:24:17)という言葉で開始しているのです。ただし二人が宣教を始めた場所は異なっています。洗礼者ヨハネは人里を離れた荒れ野でしたが、イエスはガリラヤ湖の畔にあったカファルナウムで開始したのです。天の国は人々の目に見えるかたちでも近づいて来たのです。

 

神の使命に生きる

 洗礼者ヨハネの、苦しみの多かったであろう孤高の生涯とその悲惨な最後とを思う時、私たちは心が震え、押しつぶされるような気持ちになります。神に服従するということは、ヨハネのような孤独な苦難に耐えなければならないという大変に厳しい側面を持つのだと思います。誰からも理解されず、たとえ無念さの中でこの地上の生涯を終えなければならなかったとしても、ヨハネはそれをすべて神から与えられた自分の十字架として担う以外にはなかった。その意味でヨハネは、神から与えられた使命に忠実に生きた一人の信仰者であり、神の預言者でした。ある場所でイエスはこう言ってヨハネを高く評価しています。はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」(マタイ11:11)と。

 合田俊二牧師が志半ばで地上での使命を終えなければならなかったことを通して、神は実に不思議な救いの御業を行われました。私が牧師としての召しを受けただけではなく、多くの青年達がそこから育ってゆくことになりました。先週帯広教会の信徒さんたちの前で、天王寺教会の永吉秀人牧師も自分にとって忘れ得ることができない出来事として合田先生との出会いと別れを語っておられました。天の神は人と人との出会いを通してその御業を現わされるのです。

 私たちは、私たちをもその御用のために用いてゆかれる父なる神の御心と救いのご計画に目を向けたいと思います。そしてそのための道具として、私たち人間の思いをお越えた次元において、神が私たち一人ひとりを用いて下さることに思いを馳せたいのです。その服従には神によって豊かな祝福と喜びとが約束されています。どんなに人間の闇が深くとも、私たち自身の力が弱くとも、光はその闇の中で輝き続けているのです(ヨハネ1:5)。そして「闇はこれに勝たなかった」のです(同、口語訳)。そのことを信じながら、私たちもまた、洗礼者ヨハネや合田俊二牧師とはかたちが違うかもしれませんが、私たち一人ひとりに与えられた神の使命に忠実に歩む者でありたいと願っています。

皆さまお一人おひとりの上に、神の祝福が豊かにありますようお祈りいたします。 アーメン。

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