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2018年6月25日 (月)

2018年6月24日 聖霊降臨後第5主日礼拝 説教「黙れ、静まれ!」

2018624日  聖霊降臨後第5主日礼拝 説教「黙れ、静まれ!」     大柴 譲治

コリントの信徒への手紙 二 6: 1〜13

わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。なぜなら、「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。(1-2)

マルコによる福音書 4:35〜41

イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」(39-40節)

 

大阪北部地震が起こって

 私たちは18日、先週の月曜日の朝、震度6弱という大きな地震を体験しました。昨夜も震度3の余震がありましたが、18日は一日中交通が分断されましたし、高槻や枚方などに住む方は大きな被害に遭われました。今でも水やガスなどが不通で、避難しておられる方もおられます。5人が亡くなり、負傷者は370人を超え、住宅の損傷は300棟以上という報告がされています。被災された方々のために心を合わせて祈りたいと思います。

教会ではすぐさま教会員の安否の確認のために、メイルの緊急連絡網を使ったり電話連絡を行ったりしましたが、電話が通じない地域もあってなかなか骨の折れる仕事でした。連絡が取れなかったで方々もいますが、大きな被害は今のところ私のところには届いていません。関西地区の他の教会も同様であったようです。JELCの議長と副議長の住むところに激震が走ったということで、JELC全体も心配を寄せ、祈りに覚えて下さった方々は少なくなかったことと思います。現代はインターネットを通じて世界中につながっていますので、いくつもの国から少なからぬ安否確認やお見舞いのメッセージが届き、大変にありがたく感じました。何かが起こるときに、私たちはネットワークの有り難さを感じます。ネットワークが私たちを支えているのです。教会にできることは多くはないかもしれませんが、いざという時のために、さらに祈りのネットワークを強めてゆく必要があると思われます。教会はグローバルなつながりを持っていますので、大阪教会などは救援活動の本拠地としても用いられることになりましょう。

今回のことで、1995117日の阪神淡路大震災を思い起こされた方もおられることでしょう。2011311日の東日本大震災や、二年前の4月(14日と16日)に相次いで起こった熊本地震のことも思い起こします。不必要な恐れや不安を駆り立てることがないよう注意深く語りたいと思いますが、これは「これに続く西日本大震災の始まりである」という専門家もいますし、やがて来る「南海トラフ地震」とのつながりも言われていたりします。熊本地震の時には、一日半後に起こった余震の方が大きな被害をもたらしたことも私たちは知っています。

そのような中で今日私たちは聖書のみ言葉を聴いています。天地万物が揺れ動くとも、決して揺れ動くことのない神のみ言に耳を傾けてゆきたいのです。

 

「黙れ、静まれ!」

 本日与えられている福音書の日課には、嵐の場面が描かれています。ガリラヤ湖では突然に突風が吹くということがしばしば起こったようです。特に夕方、急に気温が下がることで突風が生じたようです。12弟子の中にはペトロ、アンデレ、ヨハネ、ヤコブというガリラヤ湖のことを知り尽くしていた4人のプロの漁師たちがいたわけですから、彼らは突風の怖さを知っていたに違いありません。もしかしたらイエスが夕方になって「(舟で)向こう岸に渡ろう」と言った時に、4人には嫌な予感が走ったのかもしれません。案の定、激しい突風が起こり、舟は荒波にもまれる木の葉のように、波をかぶって水浸しになり、沈みそうになります。しかしそんな状況なのに、なぜかイエスは艫(船尾)の方で枕をして眠っておられます。とうてい寝てなどいられない状況です。イエスは天の父なる神への絶対的な信頼感からそのような状況でもスヤスヤと眠ることができたのでしょう。弟子たちはイエスを揺さぶり起こします、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言いながら。「溺れる者は藁をも掴む」です。プロの漁師を含む弟子たちの混乱と恐怖が私たちにも実感として伝わってきます。

私たちも地震が起こった瞬間は肝を冷やします。次の行動をどうすればよいか瞬間的に判断しなければなりません。オロオロと茫然自失するだけの方もおられたかもしれませんし、即座に行動してすぐガスを止めた方もおられましょう。電車やバスや車に乗っていて気づかなかった方もおられたようです。韓国やフィンランドなど、国によっては地震がほとんど起こらない固い岩盤の上に立つ国もありますので、今回日本で初めて地震を体験することになった方々はショックだったことだと思います。外国人旅行者たちも大変だったことでしょう。

本日の福音書には、しかしそのような荒波と突風に対して、神の権威をもって断固として向かい合うイエスの姿が描かれています。「イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、『黙れ。静まれ』と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった」39節)。私たちを守り抜かれる、力強くも頼もしいイエスの姿があります。それは弱く無力なまま十字架に架けられて殺されてゆく姿とは全く対極的なイエスの姿です。否、そうではないのでありましょう。私たちを苦しめる「罪」という突風と荒波から私たちを守るために、イエスはほ屠られる小羊のように黙って十字架に架かられたのでした。その姿は「黙れ、静まれ」と突風をお叱りなったイエスの姿と重なっているのかも知れません。イエスは私たちを苦しめる「罪」に対して、私たちが「罪に溺れ死んではならない」と、十字架を通して「黙れ、静まれ!」と言ってくださったのです。それは私たちが罪の中で滅びないよう私たちを守るためでした。十字架の死ですべてが終わったと思われた三日の後に、復活の勝利がもたらされました。私たちは復活の光の中に置かれています。この光はどのような闇をも貫く光であり、闇の中で輝き続けている私たちの希望の光でもあります。

 

なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。

この突風を鎮めるエピソードはまだ最後の部分が続いています。40-41節にはこうあります。イエスは言われた。『なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。』弟子たちは非常に恐れて、『いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか』と互いに言った」。このイエスの言葉を聴いて、弟子たちはさらに自分の中に恐怖を増し加えた様子が記されています。恐怖と言うよりも畏怖と言うべきかも知れません。イエスはしかし弟子たちに次のように語っておられるのではないか。「わたしがあなたのそばにいるのに、なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。もう怖がる必要はない。波や風を見るのではなく、わたしを見続けなさい。神はインマヌエルの神。どのような時にも、どのような場所でも、あなたと共にいてくださる神なのだ。わたしがあなたと共にあって、あなたを必ず守る。わたしがあなたにわたしの〈まこと〉(ピスティス)を与えよう」。先週私たちは「からし種一粒の信仰(ピスティス)があれば」というイエスのみ言葉を聴きましたが、私たちの信仰とは父なる神に対する信頼であり、イエスに対する信頼なのです。

 

聖餐への招き

イエスが私たちを捉えて下さるのです。それは「わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。なぜなら、『恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた』と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日」とパウロが本日の第二日課で言っている通りです(2コリント6:1-2)。

 これから私たちは聖餐式に与ります。「これはあなたのために与えるわたしのからだ。これはあなたの罪の赦しのために流すわたしの血における新しい契約」と言って、主が私たちを生かすためのパンとして、ブドウ酒としてご自身を捧げてくださった主イエス・キリスト。キリストが準備して下さったこの天の祝宴こそが、私たちの中に「からし種一粒の福音信仰」を蒔いてくださいます。イエスが私たちの中に贈り与えてくださるこの「信仰(ピスティス)」こそが、信じることができずにいた者を信じる者へと変えてくださるのです。人生でどのような悲しみや苦しみに出会おうとも、たとえ嵐や大地震が私たちを襲おうとも、イエスご自身が私たちを守り、支え、永遠の喜びと慰めへと招いてくれます。「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」なのですから。そのことを覚えて天の父なる神に感謝いたしましょう。  お一人おひとりの上に神の恵みが豊かに注がれますように。 アーメン。

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