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2018年4月26日 (木)

2018年4月8日(日)聖霊降臨節第二主日説教(ブラウンシュヴァイク州福音ルーテル教会・マインス監督)

ドイツブラウンシュバイク州福音ルーテル教会 監督Dr. Christoph Meyns(通訳:秋山仁牧師)

 

日本福音ルーテル教会のための復活祭の説教

 

親愛なる兄弟・姉妹の皆さん

 私は、日本で皆さんのそばで幾日かを過ごしたこと、そして、今日皆さんとともに礼拝を守れることを、喜んでいます。私にとってこれは良い機会です。それは私たちのパートナー教会としての皆さんと知り合い、そして、ともにパートナーシップが結ばれて50年たったことをお祝いできるという機会です。手厚いおもてなしに心から感謝します。

 

2~3週間前にザルツギッター市のディアコニー会館で開催された難民による個人の写真展でのことです。「これは私の祖父母の家です。」そういいながら一人の若い女性が私にダマスカスの破壊された建物の写真を見せました。彼女は目に涙を浮かべていました。一人の男性は、「三日間も私たちは水なしで過ごさねばなりませんでした。」と語り始めました。そしてサハラ砂漠の真ん中でトラックに乗った人々の写真を指差しました。ある夫婦は、彼らのいとこが地中海の上でボートの中で撮ったスナップ写真を前にして報告しました。「私たちが続けて先へ進む前に、私たちは七回も逮捕されました。」他の写真では、様々な都市を見ました。爆弾攻撃によって、もうもうとした煙が上がったところや、バルカン半島のどこかを徒歩で歩いている人々の姿を見ました。そこでははじめたくさんの悲しみを目にしました。やがて合唱団が進み出ました。様々な異なった国々から集まった男性や女性たちが一緒に黒人霊歌「自由はやって来る」を歌いました。観客は、声を合わせて歌い、一緒に手拍子をしました。突然、雰囲気が変わりました。顔が輝き、人々は笑い、悲しみが和らいで喜びに代わっていきました。その日、私は受難の金曜日から復活祭への道をまじかに体験しました。

 

私は、人間の魂に深く根差しており、いつも繰り返す憎しみや破壊、自己破壊といった突発的な衝動が何かということに直面させられました。まさしくそれはイエスの受難と死の物語が題材にしていることです。そしてまた、復活日の朝についての伝承が物語っているように、弟子たちや女性たちが復活に遭遇した時、苦難と悲しみは、最後の言葉ではないということです。

ブラウンシュヴァイクのドーム(聖堂)には、この受難から復活への道が空間を通して示されています。聖卓の前には(ブラウンシュヴァイクの基礎を築いた)ハインリッヒ公爵と彼の妃マチルダの棺があります。その棺と向かい合って正面に七つの枝を持つ燭台を見ることができます。この燭台は、天国における生命の樹のシンボルです。この燭台を通して、皆さんはまた、傍らにある復活者としてのイエス・キリストを現す十字架像に目を向けることができます。それとともに聖堂は、ある意味死を表しています。それは、ハインリッヒ公爵の挫折した人生に見て取れます。ハインリッヒ公爵は、遠大な人生の目標を持っていました。彼は、非常に野心的であり、一時期にではありましたが、全北ドイツを支配しました。その後、神聖ローマ帝国皇帝との闘争に至ると、有罪を宣告され、彼の権力を失いました。彼は、彼の舅であるイングランド王のところへの亡命を余儀なくされました。最後に彼は、挫折した男として亡くなりました。

しかしながら同時に、聖堂は、永遠の生命への希望について物語っていますし、また私たちが挫折するとき、神の愛によって私たちは支えられているということを物語っています。希望と新生の聖霊は、復活祭から導き出されています。神の愛は、死よりも強いのです。そのことを私たちは、この復活祭の週に祝うのです。

希望は助けます。困難な人生の状況の中で勇気を失わないように。また人間の判断に従っては道がないように思えたとしても、そこで道を見出すことを。希望は、同時に力を与えてくれます。外面的には展望のない状況の内にあっても、人間があきらめることなく、むしろ彼らに多くの力によって耐え抜くというその力を与えてくれます。ですから、私たちは助けるのです。ドイツの教会として、社会的な弱者や難民、病気の人々、飢えに苦しむ人々、援助を必要とする人々、障がい者、刑に服してる人々、難病の人たち、そして死にゆく人々を。私たちは、社会的な問題があきらめの根拠にはならないということを、理解します。社会的な問題は、人が克服することができるその挑戦以上に姿を現しますし、また私たちが積極的に責任を担うために、姿を現します。その際、私たちはまた逆境と反動からは落胆させられません。一つの例をあげましょう。1528年にブラウンシュヴァイクの宗教改革者ヨハネス・ブーゲンハーゲンは、すべての少年たちと少女たちを学校に行かせ、読み書きを習わせるべきだということを要望しました。しかしながら、この要求が全ドイツで実現するまでには、その後約400年かかったわけです。

私には、どのような問題に、日本における教会として皆さんが現在、取り組んおられるのかについては、わかりません。が、私たちのブラウンシュヴァイク領邦教会の領域においては目下のところ二つのテーマが存在します。一つ目は、ドイツの住民の約20%は、過去60年の間にドイツに移住したか、または両親が移住した人々です。かてて加えて、現在約1600万人の、主にシリアやアフガニスタン、アフリカの諸国からの 難民が生活しています。 私たちがどのように、かように異なった出身や文化的な特色、また宗教を持った人々と、お互いに尊重しあい、平和のうちに私たちの国でともに協調しあい生きていくことを成し遂げることができるのでしょうか。どのように私たちが、様々な不安を掻き立てたり、偏見をさらに助長したりすることを 回避できるでしょうか。たくさんの良いことがここではすでに生じています。そして更に幼稚園と学校、会社や諸団体、諸教会で起こっています。あるいは個々人の参加を通して、起こっているのです。このテーマは、まだ長く続くでしょう。

二番目のテーマは、ヴォルフェンビュッテル市のそばで、そして、ザルツギッター市のコンラートという鉱山の坑道の中にある低放射性核廃棄物の貯蔵がどうなっていくかということです。坑道には隙間があり、ごみは 堀り返されなければならないし、そして 新たに貯蔵庫を用いなければならないわけです。それは、何十年にもわたって続き、たくさんの人々に不安をあたえます。その際、また以下の問題が起こってきます。私たちはどのように未来のエネルギーを得ることを望んでいるのかということです。石炭と石油の終わりは予測可能です。しかし、それに関しては解決するには時間がありません。同時に気候変動は、私たちを新しい生活スタイルへと促しています。

教会として私たちは、まず最初に、個人のためまた家族のために存在しています。私たちは子供に洗礼を授けます。私たちは夫婦を祝福して結婚させます。故人を葬ります。私たちは、困難な人生の状況にある教会員に寄り添います。私たちは子供たちや若者たちに教えます。しかし、公開された討論に参加することもまた私たちにとっては重要なのです。もしもそれが重要な倫理上のテーマを問題として取り扱うものだとしたら、そして私たちの小さな力でともに助け合うために、正しい方向にそれらの事柄が進むためにはです。

 

皆さんと皆さんの教会に復活祭の祝福がありますように。そしてまた、皆さんの教会でいつも繰り返し福音の力を感じることができますように。喜びと希望を贈り、そして私たちに助けを必要とする人々の傍らに立つという力(モティベーション)が与えられますように。 アーメン。

 

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