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2018年2月 4日 (日)

2018年2月4日(日)総会聖餐礼拝説教「主に望みをおく人は〜ランニングハイ」 

201824日(日)総会聖餐礼拝説教「主に望みをおく人は〜ランニングハイ」 大柴譲治 

イザヤ書 40:21〜31

「若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが、主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」30-31節)

 

「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ40:31) 

 ピョンチャンの冬季オリンピックの開幕が9日に近づいてきました。楽しみにされている方もおられることでしょう。また、2年後の2020年には東京オリンピックも予定されています。先週の日曜日(28日)には大阪国際女子マラソンが行われましたが、本日の総会礼拝にあたって私は本日のイザヤ書40章のみ言葉と重なる一つの映画を思い起こしています。それは1924年のパリ・オリンピックを描いた『炎のランナー』という1981年製作のイギリス映画です。この映画は、作品賞をはじめアカデミー賞を四つも受賞した映画で(他に衣装デザイン賞と脚本賞、そして作曲賞)、ヴァンゲリスが作曲し演奏するシンセサイザーのテーマ曲もヒットしました。原題は“Chariot of Fire”(炎の戦車。以前に「シャリオ」という名前の車がありましたがそれです)。それは旧約聖書列王紀下2:11から取られ、預言者エリヤが「炎の(一人乗り)戦車」に乗って地上を見下ろすシーンが回想されるという意味のタイトルでした。

 

映画『炎のランナー』〜1924年のパリ・オリンピックでの実話

 物語は今からほぼ100年ほど前に遡ります。1924年のパリ・オリンピックが映画の舞台で、実在の人物がモデルとなっています。映画を御覧になられた方もおられるかもしれません。映画は短距離走で競い合う二人の青年を主人公に据えて、その二人の歩みを丁寧に追ってゆきます。一人は大富豪の息子、ケンブリッジ大学の学生であったユダヤ人青年のハロルド・エイブラハムス(1899-1978。聖書的に呼べば「アブラハム」ですね)。ユダヤ人として差別に苦しんできた彼はオリンピックの金メダルを取って真の英国人になろうとします。プロのコーチにもついて必死です。もう一人は、神の栄光のために走るスコットランド人宣教師の息子のエリック・リデル(1902-1945)。彼は競技場で皆に求められると聖書の解き明かしをしたりもするのです。彼もまたスコットランド人として英国では中心ではなく周縁に置かれてきた人物でした。オリンピック後にエリックは父と同じように宣教師になって中国に派遣され、そこで日本軍に捉えられて収容所で脳腫瘍のために43歳の短い生涯を終えてゆくことになるのです(ネットを読むとその後の彼の物語も出てきます)。エリックのランナーとしてのフォームは、ある意味頭をのけぞらせ手を振り回すという独特(滅茶苦茶)なのですが、彼は走っているうちに不思議な喜びに満たされて最後は天を仰ぎながら満面笑みを浮かべて皆の先頭でゴールしてゆくのです。彼は自分のためにではなく、神の恩寵を讃えてその栄光を顕すために走るのです。まさにその姿は本日のイザヤ書の言葉に合致します。主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ40:31。彼らは二人とも100m200mの英国代表選手として選ばれてゆきます。英国という国はイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドという四つの国の連合したUnited KingdomUK)です。結局エリックは100m走の予選が日曜日に行われるということを知り、自らの信仰の立場を貫いてそれに参加することを拒否します。しかし、400m走の選手が機転を利かせてエリックと交代し、結果としては100m走に出たハロルドと、400m走に出たエリックと共に優勝して金メダルを英国に勝ち取ることになります。ユダヤ人とスコットランド人という生粋のイングランド人ではない二人の青年が、それぞれのアイデンティティーを賭けて、「炎のランナー」としてパリ・オリンピックで走るのです。原題の“Chariot of Fire”(炎の戦車)というタイトルはもしかして、その二人の地上の人生を描きながらも天上から神の祝福をその対照的な二人に注ごうとしている炎の戦車に乗ったエリヤの姿を浮かび上がらせていたのかも知れません。

その映画の冒頭は砂浜を走るイギリスのオリンピックチームの練習の姿で始まり、最後は同じく砂浜を走る練習風景で終わります。その場面にヴァンゲリスのシンセサイザーの曲が重なるという、様々な意味で深い余韻を残した優れた映画だったと思います。ぜひ御覧になっていない方は御覧になっていただきたいと思います。イギリスの名作映画100選の中にも19番目に選ばれている名作です。

 

「ランナーズハイ」

 イザヤ書40:31の言葉は私たち信仰を持つ者が生きるための根源的な力をどこから得るかを明らかにしています。主(なる神)に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」のです。今はマラソンブームで、先週もこの教会のすぐ横で大阪国際女子マラソンがありました。皆さんの中にも走ることが好きな方もおられるかもしれません。しかし「主に望みをおく人」は本当に疲れないのかと言うと、私はそうではないと思います。信仰者であっても走れば息が切れるし、長く歩けば足が疲れるのです。30節にある通り、若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れるのです。信仰者であっても同じように弱りもすれば疲れもする。しかしただ一点違いがあるとすれば、恐らく私たち信仰者はどん底にあっても神から見捨てられることなく、希望を持ち続けることができる。私たちは主イエス・キリストから新たな力を得ることができるということを知っているのです。「信仰」(ピスティス)とは私たち人間の業ではありません。私たちは自分の力に頼って神を信じているということではない。それは神の恵みの御業であり、「神の〈まこと〉(ピスティス)」(小川修)なのです。神が私たちを捕らえ、私たちにおいてそのみ業を実現してくださる。「神の〈まこと〉」が私たちの中に応答としての「人間の信仰」を生起させるのです。

 最近「ランナーズハイ」という言葉がしばしば使われます。お聞きになったことのある方もおられましょう。走っていて苦しいけれどもそれをひたすら我慢して走り続けると、ある時点を超えると急に楽になって不思議な陶酔感や恍惚感、喜びに満たされるという現象が起こります。それを「ランナーズハイ」と呼ぶのです。そこでは脳内にリラックスした時に出る脳内にα波という脳波と「脳内麻薬」とも呼ばれる快感ホルモンのβエンドルフィンという物質が出て、走っているランナーたちをハイにして「至高感(至福感)」を与えてゆくのだということが次第に分かってきました(2015年以降、その原因物質は「内在性カンナビノイド」(通常は大麻に含まれる)という別の物質であるという新説も出ているようです)。同様に登山家たちが登山の途中に感じてゆく「クライマーズハイ」や、最近ではホスピスの看護師などに見られる「ワーカーズハイ」という現象も報告されています。「苦難を通して歓喜に至る」のですね。

私たちキリスト者はどのような場合にも主イエス・キリストを見上げてゆきます。そこにはもしかすると、「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」とイザヤによって預言されているように、「ビリーバーズハイ」とも呼ぶべき現象が生起するのかも知れません。しかしそれは陶酔感や恍惚感というよりも、キリストが私たちを救うためにこの世の闇のどん底まで降りてきて下さったことを覚えて深く慰められ、心に深く平安を与えられるという「静かな幸福感」であると思います。そしてキリストのゆえに、キリストと共に、私たちは自分に与えられた苦しみや悲嘆を、己を捨て、己の十字架を担ってキリストに従ってゆく力が上から与えられてゆくのだと信じます。聖餐式で私たちが感じるようなキリストのリアリティが日々私たちを支えるのです。

 今日は大阪教会の定期総会です。昨年一年間を振り返り、新しいこの一年について協議する大切な日です。その日に与えられた聖書のみ言葉であるイザヤ書40:31は、牧師報告にも掲げさせて頂きましたが、まことに時に適ったみ言葉であると思います。私たちは聖書のみ言葉から、主イエス・キリストの言葉、その独り子を賜るほど私たちを愛して下さっている神の言葉によって日ごとに「新たな力」を得てゆきます。主が共にいましたもうがゆえに(「インマヌエル」!)、私たちは走っても弱ることなく、歩いても疲れない。私たちと共にいてくださる主が私たちを支えて下さるからです。そのことを覚え、主の上に私たちのすべての「望み」を置きながら、ご一緒に本日の総会を経て、新しい一年をご一緒に踏み出してまいりましょう。

お一人おひとりの上に天よりの祝福が豊かにありますようお祈りいたします。 アーメン。

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