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2017年12月31日 (日)

2017年12月31日(日)降誕後主日聖餐礼拝説教「ピーク&ラストの法則〜シメオンのケース」

20171231日(日)降誕後主日聖餐礼拝説教「ピーク&ラストの法則〜シメオンのケース」 大柴譲治

福音朗読  ルカによる福音書 2:22〜40                    

28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。 29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。 30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。 31 これは万民のために整えてくださった救いで、 32 異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」(28-31節)

 

2017年最後の主日に〜シメオンの讃歌「ヌンク・ディミティス」

 本日は今年最後の主日礼拝です。この大阪教会は、元旦礼拝に始まり、主日礼拝に終わる一年でした。本日の福音書には「シメオンの讃歌」が出て来ます。これは私たちが毎週礼拝の中で歌う「ヌンク・ディミティス」です。主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです(ルカ2:29-32)。これはすばらしい讃歌であると思います。人生の最後に老シメオンは待ち望んできた救い主である幼子イエス・キリストと出会うことができたのでした。何という喜び、何という誉れ。もう一人の老女預言者のアンナも同様でしょう。私たちはこのヌンク・ディミティスを葬儀式の中でも高らかに歌います。このような大きな喜びの中に人生を終えて行くことができるとすれば、何とすばらしいことかと思わずにはおれないのです。人生において主イエス・キリストと出会うということはそれほどまでに大きな喜びに満ちた出来事なのです。

 クリスマスの光はこの世の「闇」の中で輝いています。神の独り子がこの地上に、人間の姿を取って、私たちの「命の光」としてお生まれになったのです。救い主の降誕というクリスマスの出来事は、この世の闇がどれほど深くても、その闇の底に救いの光が届いたということを意味しています。闇の中にキリストの光が輝いています。

 イザヤ書9章が預言していた通りの救いの出来事が地上に生起した。老シメオンはそれを目の当たりにすることができました。「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。・・ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる」9:1, 5節)。本日の第一朗読であるイザヤ書61章が歌う歓喜の歌は、その大きな喜びと重なります。わたしは主によって喜び楽しみ、わたしの魂はわたしの神にあって喜び躍る。主は救いの衣をわたしに着せ、恵みの晴れ着をまとわせてくださる。花婿のように輝きの冠をかぶらせ、花嫁のように宝石で飾ってくださる。大地が草の芽を萌えいでさせ、園が蒔かれた種を芽生えさせるように、主なる神はすべての民の前で、恵みと栄誉を芽生えさせてくださる」61:10-11)。

 

ピーク&ラスト(ピーク・エンド)の法則

 私たちの持っている「記憶」「感覚」は様々な特徴を持っています。本日はそのうちの二つの特徴に触れたいと思います。「ピーク/マックス」「ラスト/エンド」の二つです。心理学の領域では「ピーク&ラストの法則(ピーク・エンドの法則)」と呼ばれるものがあります。何事でも私たちは一つの体験をした時に、喜びでも悲しみでも怒りでも、その時の「頂点にあった感情」(「ピーク感情」または「マックス感情」とも呼びますが)と共に「最後(ラスト/エンド)の感情」を強烈にその体験の記憶として定着させるという傾向があるようです。「経験全体の総和」ではなくて、「その経験の長さ」「ジグザクさ、複雑さ」でもなくて、「ピーク時の感情と終結時の感情」の二つを心に刻む傾向があります。記憶に残るのは「頂点の部分」「最後の部分」なのです。それを「ピーク&ラストの法則」あるいは「ピーク・エンドの法則」と呼びます。普段は意識していないのですが、確かにそう言われてみると、そのように思われます。いろいろな出来事を振り返るときに、それがたとえ紆余曲折を経るような長く複雑なものであったとしても、その時の「ピーク感情」がどのようなものであったか、「ラスト感情」がどのようなものであったかで、それが印象づけれられていることが少なくないのです。私たちの記憶はそのようなかたちで、意外にも単純化して、主だった印象を抽出して定着させているというわけです。

例えば、一枚の紙を取って、タテに半分に折ります。もう一度拡げると真ん中に折れ線が入っています。これを自分がこれまで歩いてきた人生だと思ってください。左端が誕生時、右端が現在です。自分の人生を振り返って、最高の喜びや幸せという「ポジティブ体験」を三つ、思い起こしていただきます。「三つだけに絞れない」とか「順番はつけられない」とか、様々な思いが交錯することでしょう。しかし時間をかけて、思い起こしてみるのです。そうすると、「何歳の時にはこういう体験があった」とか「そう言えば、あの時にはああいう体験もあった」と様々な振り返りができることでしょう。紙に書いてみてください。上端をピークとします。続いて最高に辛かった「ネガティブ体験」を三つ思い起こします。それもその時に気持ちを思い起こしながら書いていただきます。すると三つの喜びの山(「ポジティブ体験」)と三つの嘆きの谷(「ネガティブ体験」)ができた自分の生涯が目の前に浮かび上がってきます。改めて自分の歩んできた人生を振り返るのは大切なことでしょう。今の自分にとっては一つひとつが大切な経験です。それらを経て現在の自分があるからです。自分の人生において「ピーク&ラスト(ピーク・エンド)の法則」を当てはめるとすれば、どのようになるでしょうか。

 

シメオンのケース

そのところから「シメオンのケース(場合)」を考えてみるならば、どうなるでしょうか。老シメオンはそれまでの人生で様々な苦しみや悲しみ、壁にぶつかったり、徒労や失望をなめてきたに違いありません。私の母はよくこう言っていました。「譲治、歳を重ねるということは、実はそれだけで大仕事なのよ」と。本当にその通りであると実感したものでした。シメオンも、場合に違わず、人生山あり谷ありですから、多くの体験を積み重ねてきたことでしょう。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた」2:25-26)と福音書にはあります。「シメオン」とは「聴く、耳を傾ける」という意味の名前です。「名は体を表す」と言いますが、シメオンは生涯を通して一生懸命に聖書を通して聞こえてくる「神の声」に耳を澄ませ、それに耳を傾けてきたのでありましょう。そのことを25-26節は「正しい人で信仰があつく」という表現で表していたと考えられます。

 そのシメオンが幼子イエスと出会ったのです。「シメオンがに導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った」27-28節)。そしてここからシメオンは大きな喜びに満たされて「ヌンク・ディミティス」を歌うのです。高らかに、そして決然として、「今わたしは主の救いを見ました」と。「ピーク&ラストの法則」から見れば、彼ほど幸せな人生を送った者はいないのではないでしょうか。シメオンの姿はこの世の人生においてキリストと出会った私たち自身の姿でもあります。先週のクリスマス礼拝では4人の方の洗礼式が行われましたが、それはキリストによって罪を贖われ、すべての罪を赦されて、古い自分が死んで、主にある新しい自分として生まれ変わるという奇蹟のような出来事でした。キリストにある大きな喜びが私たちを捉えて放しません。ローマ書8章のパウロの言葉を想起します。「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。『わたしたちは、あなたのために一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている』と書いてあるとおりです。しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」8:35-39)。

私たちは、シメオンと共に、キリストと出会えた喜びの讃歌を歌いながら、この主の年2017年を閉じてゆきたいと思います。そのような「ピーク&ラストの出来事」を神は私たちに恵みとして贈り与えてくださったのです。お一人おひとりの上に、メリークリスマス!

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