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2017年7月29日 (土)

2017年7月23日(日)聖霊降臨後第7主日礼拝説教「毒麦はどこから?」

2017723日(日)聖霊降臨後第7主日礼拝 説教「毒麦はどこから?」   大柴 譲治

マタイによる福音書 13:24〜30,36〜43

「刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、『まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい』と、刈り取る者に言いつけよう。」(30節)

 

毒麦のたとえ〜最後の審判

 本日の「毒麦のたとえ」はイエス自身が弟子たちに請われて説明していますので(37節〜43節)、分かり易い話であると思います。しかしそこには「刈り入れ時の麦と毒麦の選別」即ち「世の終わりの裁き/最後の審判」についての厳しい言葉が含まれていて、弟子たちもどのように理解すればよいか戸惑ったのでしょう。「良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。人の子(キリストご自身)は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」

 このような言葉を聞くと私たちは身も心もすくんでしまうような恐ろしい気持ちになります。なぜかというと私たちの中には、「自分は毒麦なのではないか。終わりの日には泣きわめいて歯ぎしりする以外にはない救いようのない者なのではないか」という気持ちがどこか心の奥底に潜んでいるからでありましょう。この毒麦のたとえは私たち自身のアイデンティティー(自己同一性・自分が自分であることの本質)を問うたとえなのだと思います。

 

「ホモ・パティエンス(苦しむ人間)」(ヴィクトル・フランクル)

 私はティーンエイジの頃、中学、高校、大学時代ですが、自分自身の罪の問題と格闘して苦しみ続けた時期がありました。牧師の子供として生まれ、教会の中で育った私にはその苦しみを語り合う友がいませんでした。第二反抗期とも重なり、信頼すべき大人とも出会うこともなく、自分自身に対しても厳しく糾弾するような気持ちでいたのだと思います。自己の多重人格性と偽善性に苦しみ、「(自己の)存在自体が悪にしか過ぎない」とつぶやいていたように思います。生の意味がどこにも確認できずに、どうすれば自分自身を統合できるかを求めて苦しんだ時期でもありました。何と孤独で暗い青春時代だったかと思います。出口のないトンネルに入ったような気持ちでした。もちろん、青少年の時代は自分が何者であるかというアイデンティティを問う時期でもありますから、誰しもがそのような苦しい模索の時代を多かれ少なかれ体験していたのでしょう。大学に入って、様々な出会いを通してやっと自身の道を見出してゆくことができたのだと思っています。あの時期に再度戻りたいとは思いませんが、しかし、そのような苦しかった「アイデンティティの危機(クライシス)」時代があったからこそ、今の自分があるのだとも思っています。苦しむことを通してこそ見出すことができた次元があったのです。人間のことを「ホモ・サピエンス(「賢い人間」の意)」と呼びますが、それをもじってユダヤ人精神科医であったヴィクトル・フランクル(1905-1997。自らのアウシュビッツ体験を『夜と霧』で報告する)は人間を「ホモ・パティエンス(苦しむ人間)」と呼びました。歳を重ねる中で私たちの課題となってゆくことは、人生をどうまとめてゆくかということであり、「統合」ということです。

 

日野原重明先生の召天に思う

 718日(火)に聖路加国際病院理事長であり、私が関わっている上智大学グリーフケア研究所名誉所長でもあった日野原重明先生(1911-2017)が、105歳の地上でのご生涯を終えて天へと帰られました。先生の御尊父は日本基督教団の牧師でした。京都帝国大学の医学部を卒業して医師となり、1941年から聖路加で働き始められます。1970年にはよど号ハイジャック事件に遭遇して死を覚悟(58歳)。この事件が転機となります。帰国した先生は、「これからの自分の人生は与えられたものだから、人のためにこのいのちを提供しよう」と夫婦で約束するのです。「自分の寿命のことも忘れて生活するようになると、不思議に今のように長生きすることになりました」(『メメントモリ(死を想え)〜死を見つめ、今を生きる』(海竜社、2009p89)。

 日野原先生の働きは多岐に亘っています。予防医学としての人間ドックを定着させ、「成人病」を「生活習慣病」という呼び方に変えるよう国に働きかけ、生活習慣を改めることの重要性を繰り返し語ってこられました。また、自らもホスピスを造って終末期医療やホスピスケア、スピリチュアルケアの重要性を説いてきたのです。高齢者たちが生き生きと生きることができるように「百歳は次のスタートライン」などと言いながら「新老人運動」を展開してこられました。いくつになっても旺盛な好奇心に満ち、何と88歳で乗馬を始められたということも驚きでした。病院の管理者としても優れた手腕をお持ちでした。聖路加国際病院を大規模災害や事故に対処できるよう建て直し、幅広く取ったロビーや廊下では最初の応急処置や治療・手術ができるように酸素吸入器や医療機材を壁に配置してあったのです。実際に1995年の地下鉄サリン事件の際には多くの方が聖路加に運び込まれ、自ら陣頭指揮を取った病院長としての日野原先生の姿がテレビに映し出されていました。また、という書物には、日野原先生は生涯で3200もの医学論文を書いてきたとあって本当に驚かされました(80年で平均すると毎年40本!)。超人的な働きです。著作もインターネット書店のAmazonで検索すると864件がヒットしました。これまた驚くべき冊数です。私は日野原先生の姿を思う時、サムエル・ウルマンの「青春という名の詩」を思い起こします。「人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる」

 それだけではありません。日野原先生のすごさは、105歳の最後まで現役の内科医として働かれたという点にもありますが、朝日新聞の夕刊に定期的に連載されていたように、聖書やキリスト教の用語を用いずに、「神を愛し、自らを愛し、隣人を愛する」ことの大切さを誰にでも分かるように語ってこられたところにあると私は思っています。たとえば、グリーフケアに関して日野原先生は「か・え・な・い・心」の大切さを語られました。「①かざらず(正直・率直に)、②えらぶらず(上から目線ではなく)、③なぐさめず(深い沈黙の中で相手の悲しみを受け止め)、④いっしょにいる」姿勢をもって向かい合う相手に寄り添ってゆく。これまた実に味わい深い教えです。長く患者に寄り添ってこられた医師出あればこそ語る事ができる長老の智恵であると思います。

 

毒麦はどこから?

 イエスの毒麦のたとえに戻りましょう。現実の私たち人間の心の中には麦と共に毒麦も存在している。麦と毒麦がまぜこぜになっている。私たちは光と闇の両面を抱えていて、それを統合することができずに苦しみます。イエスは言います、「刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい」。その両方をそのままにしておくのです。その中でイエスに従うことを求めておられるのです。影の部分、毒麦のような部分を持ちながらも、それがどこから来たのか分からないでいたとしても、私たちはそれらを抱えたまま精一杯、自分に与えられたいのちを輝かしてゆくことができる。そのことを105歳まで貫かれた一人のキリスト者医師・日野原重明先生の生と死は証ししているように思います。たとえ現実には私たちの内外に数多くの毒麦があったとしても、私たちは神とつながり続けることを通して、正しい生き方を神の恩寵の中で味わい楽しみながら歩むことができるのです。

 これも日野原先生の言葉です。「臨終にあたり、『生きてきてよかった。今まで本当に感謝します。』と、家族や友人に別れの言葉を述べて亡くなった患者さんを、私は何人も看取ってきました。苦しい中でも、不安の中にあっても、『与えられたいのちに感謝する』と最後に言える人こそ、最高の死に方をされた人だと思います」(『メメントモリ』、p13)。私たちが内に弱さや罪や毒麦を抱えていたとしても、あの十字架の上に私たちを贖い、神と自己と隣人との三つの次元において私たちに和解をもたらしてくださった主イエス・キリスト。死してよみがえることを通して私たちのために永遠のいのちに至る門を開いてくださったキリスト。このお方が刈り入れの時にも責任をもって必ず私たちに関わって下さるのです。「罪人の頭のような私がもし天国に入れないとすれば、それはキリストの沽券(こけん/面目)にかかわります」(日基教団の総会議長をされた鈴木正久牧師の説教より)。

 このお方に信頼し、すべてを委ね、与えられたいのちに感謝しつつ、この新しい一週間もご一緒に踏み出してまいりましょう。お一人おひとりの上に神さまの豊かな守りと導きと祝福とがあるようにお祈りいたします。アーメン。

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