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2016年12月 5日 (月)

2016年8月7日(日)平和主日礼拝説教「キリストの平和」

201687日(日)平和主日礼拝説教「キリストの平和」         大柴 譲治

ミカ書4:1-5 / エフェソの信徒への手紙2:13-18

 

丸い地球の 水平線に 何かがきっと待っている(『ひょっこりひょうたん島』)

 井上ひさしというカトリック信者の劇作家がいます。20104月に肺ガンのため75歳で召された方で、現在国立文楽劇場では井上ひさし原作の『金壺親父恋達引(かなつぼおやじこいのたてひき)-モリエール「守銭奴」による-』という公演が行われています。井上ひさしの作品で私の世代が一番影響を受けたのは、何と言っても『ひょっこりひょうたん島』という人形劇でしょう。196446日(月)から196944日(金)までの5年間、NHKテレビで放映されました。「♪ 泣くのはいやだ、笑っちゃお、進め、ひょっこりひょうたん島 ♪」という行進曲のような主題歌と共に、その登場人物の際立った個性とハチャメチャで抱腹絶倒なストーリーの展開に魅せられて毎日楽しみに観ていた記憶があります。

 

波を ちゃぷちゃぷ ちゃぷちゃぷ かきわけて (ちゃぷちゃぷちゃぷ)

雲を すいすい すいすい 追い抜いて (すいすいすい)

ひょうたん島はどこへゆく僕らを乗せてどこへゆく (うううう うううう)

丸い地球の 水平線に 何かがきっと待っている

苦しいこともあるだろさ かなしいこともあるだろさ

だけど僕らはくじけない 泣くのはいやだ 笑っちゃお

すすめー ひょっこりひょうたん島 ひょっこりひょうたん島 ひょっこりひょうたん島

 

 私がここで一番大切と思うのは「丸い地球の 水平線に 何かがきっと待っている」という部分です。未来には何かよいことが必ず待っているのです。そう思えればこそ、苦しいことがあっても悲しいことがあってもくじけずに「泣くのはいやだ、笑っちゃお」と歌いつつも、前を向いて進んでゆくことができるのだと思います。そう、現実の困難さの中で私たちを支えるのは未来に対する希望です。どのような苦難の中にあっても希望を見失わないこと、絶望しないことが大切です。ある意味それは楽天的な生き方かもしれません。しかし人間は最初からそのように造られているのだと思います。そうでなければ、恐らく大自然の厳しい生存競争の中で生き残ってくることはできなかったことでしょう。未来に対する希望を信ずればこそ、私たちは今を絶望せずに生きてゆくことができる。七転び八起きができる。実際に私たちは、日々の生活の中で悲しいことや苦しいことを体験しても、やがてその辛い記憶を忘れてゆきます。基本的に楽天的に創られているからです。人が「神のかたち」(創世記1:27)に造られているとは、私たちが希望に向かって生きるように創造されているということなのかもしれません。

 

「笑いで涙を1グラムでも減らしたい。」(井上ひさし)

 井上ひさしさんが2000年度の朝日賞受賞スピーチで語った「笑いで涙を減らしたい」という挨拶があります。井上ひさしさんの生き方がとてもよく現れていると思います。

「中学三年の秋、私を仙台の施設で預かってくれたカナダ人の修道士が、エラ・ウィーラー・ウィルコクスというアメリカの女性大衆詩人の「ソリチュード(孤独)」という短い詩を教えて下さいました。

 この地球は涙の谷 悩みごとや悲しいことでいっぱいだ  

 そこで喜びはどこからか借りてこなくてはならぬ  その借り方は・・・

 あまり有効な方法ではないが、しかしこの方法しかないので、あえていうが

 ・・・ とにかく笑ってみること  笑うことで喜びを借りてくることができる

 悩みごとや悲しみは最初からあるが、喜びはだれかが作らなければならない。この喜びのパン種である笑いを作り出すのが私の務めです。時に不発だったり、時に間に合わなかったり、なかなかうまくは行きませんが、これからも笑いをコツコツ作ってゆく決心です。そのことで この世界の涙の量を1グラムでも減らすことができれば、こんなうれしいことはありません。」

 井上ひさし文学の原点がここにあると思います。「泣くのはいやだ、笑っちゃお」という言葉は、若い頃から苦労してカトリックの養護施設で育てられた井上さん自身が歯を食いしばって生きてきたモットーだったのだと思います。振り返って見れば、1964年と言えば「東京オリンピック」があった年ですが、ちょうどそれにあわせてテレビが普及し始めた頃のことでもありました。

 『ひょっこりひょうたん島』には様々な個性的な登場人物が登場します。5人の子供たちとともにひょうたんのかたちをした半島に遠足に来たサンデー先生。その中には「ハカセ」と呼ばれる天才少年もいます。いかだに乗って多くの盗品と共にたどり着く海賊のトラヒゲや護送中の飛行機から飛び降りてきた黒ずくめのマシンガン・ダンティー(彼は元シカゴのギャングでしたがやがてひょうたん島の保安官となります)とか、新聞記者たちに追い詰めれられてテレビからこぼれ出てきた政治家のドン・ガバチョ(彼は自分で立候補してなぜかひょうたん島の初代大統領になるのです)とか、動物の王様であることに嫌気がさしたライオンであるとか、キャラクターも姿かたちも個性派揃いです。しかし「みんな違ってみんないい」(金子みすゞ)のです。ひょうたん島はそのような多様性を認めた宇宙船地球号なのです。

 そもそも設定が荒唐無稽です。突然ひょうたん火山が爆発し、衝撃で半島は陸地からちぎれて、彼らを乗せたまま大海を漂い始めるというのですから。ひょうたん島は一つの共和国としてえがかれてゆきます。どのようなストーリー展開になるのか先が見えない、ハラハラドキドキの作品でした。主人公たちの声を担当した個性的な声優たちも、キャラクターに命を与える芸達者揃いでした。確かにドタバタで、奇をてらってどうなってゆくのか分からない面もありましたが、しかし子どもながらに私はこの人形劇は大人が本気で子供たちのために作っていると感じました。その作品は必ず中にオペレッタのような、ミュージカルのような部分があって、印象的な歌が出てきます。たとえば、ひょうたん島の初代大統領であるドン・ガバチョが歌う「未来を信じる歌」という歌はこうです。「きょうがダメならあしたにしましょ。あしたがダメならあさってにしましょ。あさってがダメならしあさってにしましょ。どこまでいってもあすがある」。これはイエスさまの語られた「明日のことを思い煩うな。明日のことは明日自身が思い煩うであろう」という言葉に通じるものがあると思います。「明日」という字は「明るい日」と書きますが、未来に明るい希望を信じることができた時代でもあったのかもしれません。「世界の涙の量を1グラムでも減らす」「努力」と、「丸い地球の水平線の向こうにはきーっと何かが待っている」と信じる未来に対する「希望」と、現実の厳しさにも関わらずそれを「ハタハッハ」と笑い飛ばしてゆく「根拠のない自信」と「ユーモア」とが必要だったのです。

 

真の「平和」「希望」としてのキリスト

 聖書は私たちに与えられた本当の「希望」について告げています。それは私たちのためにあの十字架にかかってくださった神の独り子イエス・キリストです。どのような時にも私たちを見捨てず、私たちと共に歩み給う羊飼い、主イエス・キリストこそが私たちの希望であり、平和(平安の源)なのです。平和主日の本日、私たちにはパウロがエフェソ書2章のみ言葉が与えられています。「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」2:14-16)。このお方を見上げる特、私たちにはこのお方からの愛によって、慰めと希望とを与えられてゆきます。「わたしの愛にとどまりなさい」と言ってくださったキリストは、今もこの世において、世界の涙の量を1gでも減らそうとして働いておられます。そのことを覚えながらご一緒に聖餐式に与ってまいりましょう。そしてキリストに従って新しい一週間を踏み出してゆきたいと思います。

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