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2016年12月 5日 (月)

2016年7月3日(日)聖霊降臨後第7主日礼拝説教「神の収穫、私たちの手」

201673日(日)聖霊降臨後第7主日礼拝説教「神の収穫、私たちの手」  大柴 譲治

ルカによる福音書 10:1-11, 16-20

「その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。そして、彼らに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。』」(1-2節)

 

フランシスコの平和の祈り

 昨日もバングラデシュのダッカでテロが起こり、7名の邦人を含め20名の方が亡くなりました。毎日のように起こるテロや争いが連鎖してゆくこの人間世界の現実の中で、私たちの心は憤りと悲しみとではりさけるような思いになります。突然命を奪われた人々はどれほど無念だったことでしょう。残された人々の驚きと痛み、終わることのない嘆きと憤りを思う時に、私たちはただただ言葉を失います。犠牲者やご遺族の上に慰めを祈りたいと思います。そして心を合わせて神の平和を祈りたいと思います。

 「アッシジの聖フランシスコによる『平和の祈り』」(高田三郎作詞作曲)という一つの祈りがあります。

 

神よ、あなたの平和のためにわたしのすべてを用いてください。

憎しみのあるところに愛を、争いのあるところにゆるしを、

分かれているところは一つに、疑いのあるところに信仰を、

誤りのあるところに真理を、絶望のあるところに希望を、

悲しみのあるところに喜びを、闇には光をもたらすために。

神よ、わたしに望ませてください。

慰められることよりも慰めることを、

理解されることよりも理解することを、

愛されるよりも愛することを。

自分を与えて与えられ、すすんでゆるしてゆるされ、

ひとのために死んでこそ、とわに生きるのだから。 アーメン。

 

72人の先遣隊の派遣

 本日の福音書には、主が72人の弟子たちを二人一組にして派遣したことが記されています。「その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた」(1節)。主ご自身が訪問するつもりのすべての町や村に彼らを「先遣隊」として遣わされたのです。その際に主は言われました。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」(2節)。神によって豊かな収穫は約束されているけれども、その収穫を刈り取る働き人が少ないというのです。その「72人」がそうであったように、神が私たち一人ひとりをその収穫のために派遣し、神は私たちの手を用いてゆくということが本日の主題です。そのために私たちもまた神の力を祈り求めてゆきたいと思います。

 

「左手のピアニスト」舘野泉

 平和のために自分に何ができるのかということを思う時、私はしばしば一人の音楽家を思い起こします。ご存じの方も少なくないと思いますが、舘野泉(たてのいずみ)というフィンランド在住の男性ピアニストがいます。舘野さんは1936年生まれですから、今年でちょうど80歳になります。1960年に東京芸大を卒業し、既に100枚以上ものCDを出してきた世界的な音楽家です。しかし2002年、65歳の時に、フィンランド・タンペレでのリサイタル直後に突然脳溢血を患い、緊急入院。リハビリを行ったのですが、結局右半身不随という後遺症が残ってしまいます。不屈の魂を持つ人物と言うべきなのでしょう、舘野さんは二年半後の2004年に「左手のピアニスト」として奇跡的なカムバックを遂げられました。私は2010年の9月に、札幌の藤女子学園で開かれた日本スピリチュアルケア学会(日野原重明会長)でその生演奏を聴いて深い感銘を受けました。その際に舘野泉さんは日野原先生と対談して、その飄々として力の抜けた語り口も印象に残りました。NHKでも何回も紹介されたので御覧になられた方もおられるかもしれません。

 私が一番深く印象に残ったことは、右手が動かないということでピアニスト生命を断たれたと感じて辛い思いをしていた時に、やはり音楽家(ヴァイオリニスト)である息子ヤンネさんが左手のために作曲されたピアノ作品を「お父さん、このような楽譜を見つけたよ」と父親のそばにもってきたそうです。その楽譜を何気なく見ていた時に、それまで両手でなければピアノは演奏はできないと思っていた舘野さんの中に突然天啓のような閃きがあったというのです。舘野さんはこう書いておられます。「氷河が溶けて動き出したような感じであった。・・・ただ生きかえるようであった。・・・音が香り、咲き、漂い、はぜ、大きく育って、ひとつの全き姿になって完成する。音楽をするのに、手が一本も二本も、関係はなかった」(エッセイ『ひまわりの海』)。それからすぐに舘野さんは日本の友人の作曲家に国際電話をして、一年後に日本で復帰リサイタルを開くからと、左手のピアノ曲の作曲を友人の作曲家たちに依頼しました。そして遂に東京、大阪、福岡、札幌で約束通りにリサイタルを開いたのです。

 「音楽するのに、両腕も片腕も関係ない!」この言葉は私にとっても目からウロコでした。こうでなければならないという固定観念から私を解放してくれました。館野泉さんはこう書いています。▼65歳で脳出血に倒れ、半身不随になってからは8年になる。実のところ、病から立ち直ってこんなに長く生きられるとも、ましてや、こんなに長くピアノが弾けるとは想像だにしていなかった。ただ一日一日を生き、一日一日ピアノを弾いてきただけである。人間は自分の置かれた状況を認めて生きるしかないということだろう。でも、それは幼い時から自分には当然のこととして理解されていたように思う。私は夢とか理想、将来の計画というものを持ったことがないが、逆に言えば、夢や希望は常に身の周り、心の中にあったのだろう。理想や計画は持たなくても、ひとつの事をやりとげると、それが自然に次のことを生みだし発展し広がっていった。百の失敗を重ねているとひとつの霊感が生まれてくるようにも思えた。▼二年半の闘病生活を経てステージに復帰したとき、自分は左手のみで演奏するピアニストになっていた。でも、また演奏出来るということがただただ嬉しかった。嬉しくて嬉しくて、自分が左手だけで演奏しているとか、不便不自由であるとか、そのようなことは一切感じなかった。弾いているのは音楽なのである。片手であろうが両手であろうが、手が三本であろうが、そんなことはまったく問題にならない。 ただ、演奏出来る曲目が少なかったのは事実である。しかし、 少なければ書いてもらえばよい。・・・限りなく豊かな思念、詩情、情感、夢が、そして人の心を満たし動かしてくれるものが生まれ続けている。なんと有難いことだろう。(演奏生活50周年記念コンサートちらし2010より)

 左手だけで演奏する舘野さんのバッハのシャコンヌなどは鬼気迫るものがあります。また、カッチーニやシューベルトのアヴェマリアの演奏は本当に丁寧で、純粋で、美しい。魂に染み渡る演奏であると思います。そしてそのように生きる舘野泉さんの真摯な生き方と音楽とは私たちの心を強く打ち、慰めと励ましと勇気を与えてくれるのです。神の約束された豊かな収穫のために用いられている一本の祝福された手がそこにはあります。

 

オオカミの群れの中に遣わされた小羊

 主は72人にこう告げています。「行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる」(3-6節)。オオカミの群れの中に小羊を送り込む? それではオオカミの餌食になるだけではないでしょうか。もしそうであるとすれば、何という場違いな、何というむごい派遣であることか。そう思います。しかし、実際に派遣された72人は「喜んで帰って来て」、主に次のように報告するのです。「七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。『主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します』(17節)と。神が共にいてくださる時、人には不可能に見えることが可能とされるのです。神にはできないことがないからです。たとえ悪が勝利しているように見えたとしても、どれほど私たちが無力に思えたとしても、神がその豊かな実りを約束してくださっているのです。神は私たちの手を用いてその実りを刈り取ってゆかれるのです。絶望の中に希望を創造される神の働きを覚えたいと思います。私たちは、キリストの平和をあまねく宣べ伝えるために、神の権威の下、主の先遣隊としてそれぞれの持ち場に派遣されてゆきます。音楽を奏でるのに腕が一本とか二本とかは関係ないように、私たちは自分の手でできることをコツコツと行いながらご一緒に神に仕えてまいりましょう。 神よ、あなたの平和のためにわたしのすべてを用いてください。アーメン。

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