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2016年12月 5日 (月)

2016年6月19日(日)聖霊降臨後第5主日礼拝説教「帰るべき家」

2016619日(日)聖霊降臨後第5主日礼拝説教「帰るべき家」大柴譲治

ルカによる福音書 8:26-39

悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになった。「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。(38-39節)

 

「墓場」を「家」とする=帰るべき家(自分の居場所)を持たない

 本日の福音書の日課には、複数の「悪霊」に取りつかれ、非人間的(インヒューマン)な生き方をしている一人の男が登場します。この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた」(28節)とあります。「悪霊」とは人間から人間性を奪う(人間を疎外する)悪の諸力の総体を意味していましょう。

 このエピソードはマルコとマタイにも並行箇所がありますが、マルコには5章の並行箇所にはもっと凄まじい表現が記されています。この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた(マルコ5:3-5)。石で自分を打ち叩くという「自傷行為」を繰り返していたのです。彼は「墓場」を住処としていたとありますが、それは自分が安らぎの場所(居場所)を持たず、帰るべき家を持たない人間の悲劇を言い表していると思われます。私たちには「帰るべき家」が必要だからです。自分が所属すべき「居場所」が必要なのです。ルカ福音書15章に記されている放蕩息子のたとえでも、困難に直面した時に、本心に立ち返って、「そうだ、お父さんの所に帰ろう」と自分が本来帰るべき場所を思い出した放蕩息子のことを思い起こします。帰るべきところ(家/Home)を持つ者は幸いでありましょう。

 

人間を非人間化する悪の力「レギオン」

 人間を非人間化する悪の諸力がある。そのような現実に対して私たちは自分の無力さをとことん味わい、言葉を発することはできなくなるのです。しかしそのような現実に対して主イエスは「名を何と言うか」と問い正して、「レギオン」という答えを得ます。「レギオン」とはローマの兵隊の「軍団」を表す語です。通常は五千人から六千人で構成されていたようです。ローマ軍団の一個師団にあたるほど多くの悪霊どもが彼に取り憑いていたということになります。「レギオン」という語が明らかになることで、おそらく人間を非人間化するこの世の悪の諸力がいかに大きく、私たち人間がその前に無力であるかが示されているのでしょう。悪霊たちは主イエスの持つ権威を正しく理解していました。31-33節をお読みします。

 

そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。

 

イエスによる悪霊どもの駆逐と人間性の回復

 凄まじい光景です。ブタは「汚れた動物」としてユダヤ人には忌み嫌われていたようです。マルコ福音書は「二千匹のブタ」という数まで記録しています(マルコ5:13)。「軍団(レギオン)と言われる通りです。私たちを非人間化する悪の諸力にもイエスは打ち克つ権威と力とを持っておられるのです。そのような一人の男を「悪霊ども」の力から救い出したのが主イエス・キリストでした。彼をそのような悪の諸力から救い出し、彼に真の人間性を取り戻すために闘ってくださったのが主イエス・キリストだったのです。ゲッセマネの園で主は血のように汗を流すまでに苦しみ、格闘されたことを私たちは知っています。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」(マルコ14:36)と。

 悪霊たちを追い出すという圧倒的な力を見せつけられたゲラサの人々は恐れて、イエスにお引き取りいただきたいと願います。まぶしい太陽の光の前では影が色濃く映し出されるように、神の聖なる力の前に私たち人間は立ち得ないのでしょうか。

 

「自分の家に帰りなさい。」

 しかしこのエピソードはその男の癒しで終わりません。その最後にはこう記されています。悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになった。『自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。』その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた」。

 イエスに直接従うという生き方ではなく、自分の家に帰ってイエスが自分にしてくださった人間解放の出来事を証ししてゆくという大切な役割を与えられたのです。主イエスは「自分の家に帰りなさい」と命じることで、彼の今後の人生に生きる意味と方向性を与えたとも言えましょう。主イエスは、「墓場」に「死と闇の世界」「希望のない世界」に住んでいた彼を、彼自身の家族がいる「家(ホーム)」に、神が共にいて、涙が拭われ、もはや苦しみも涙も死もない世界へとつながってゆく現実へと戻してゆかれるのです。私たちもまた、キリストと出会ったがゆえに、ここに集められています。キリストが私たちにしてくださった解放の御業をご一緒に誉め讃えてまいりたいと思います。

 

聖餐への招き

 これから私たちは聖餐式に与ります。主のご臨在を深く味わいながら、聖餐に与ってまいりたいと思います。お一人おひとりのうえに神様の祝福が豊かにありますように。アーメン。

 

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