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2016年12月 5日 (月)

2016年5月15日(日)聖霊降臨日礼拝説教「聖霊の風に吹かれて」

聖霊降臨日 説教 「聖霊の風に吹かれて」         大柴 譲治

創世記11:1-9 / 使徒言行録2:1-21

ヨハネによる福音書14:8-17, 25-27

 

はじめに

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

 

ペンテコステ=教会の誕生日

 本日は聖霊降臨日。教会の誕生日です。天から聖霊が降って教会が誕生した様子が、ルカが記した使徒言行録2章に記されています(1-4節)。

 

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

 

「霊」という言葉は、旧約聖書が書かれているヘブル語でも、新約聖書が書かれているギリシャ語でも、「風」とも「息」とも訳せる言葉です。例えば創世記の2:7には次のようにあります。「神は土の塵で人をかたちづくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。すると人は生きる者となった」。ここで「息」と訳されている語は「霊」とも「風」とも訳せる言葉です。人間は神からの聖霊(いのちの息吹)をいただいて生きる者とされた。聖書は人間が「神のかたち」として神との関係の中で生かされているということを最初に宣言します(創世記1:27も参照)。アウグスティヌスも『告白』の一番最初でこう告げています。「神よ、あなたは私たちをあなたに向けて造られました。ですから私たちの魂は、あなたの御許に憩うまでは安らぐことはないのです」と。私たちの魂(心)は、神との関係の中に最初から置かれている。ちょうど磁石が地磁気に反応して北を向いてピタッと止まるように、私たちの魂も神さまの方向を向いてピタッと止まるように定められているのです。

 使徒言行録に記された聖霊降臨日の出来事はそのことをもう一度高らかに宣言した出来事でした。神の聖霊が降り、人々(=ガリラヤ人)が様々な国の言語で語りはじめたというのです。何を語ったのでしょうか。一四節以降のペトロの説教に明かですが、旧約聖書に預言されていた神の救いが主イエスにおいて成就(実現)したという「キリストの福音」を語り始めたのです。宣教師たちが、言葉や歴史や文化の壁を越えて、困難を越えて、キリストの福音を宣べ伝えるために全世界に出て行ったことを私たちは知っています。それは聖霊の働きでした。

 大阪教会も来年で宣教百年を迎えますが、これも米国のサウスカロライナ・チャールストンという町から1892年に二人の宣教師が日本に派遣されたところから日本福音ルーテル教会が開始されたのです。1993年に私たちは熊本で三千人が集って「宣教百年記念大会」を祝いました。これも聖霊の働きです。キリスト教の二千年を越える歴史が、今もこの世界の中に神の聖霊が生きて働いていることを証ししています。

 

神学校の間垣洋助先生の講義から

 私が三鷹のルーテル神学校で学んでいた時代、当時新約学の教授であられた間垣洋助先生が使徒行伝(当時は口語訳聖書でした。今の新共同訳では使徒言行録伝)について授業で語られた言葉が今でも私の心に強く響いています。

 

「ルカが記した使徒行伝には主として前半はペテロ、後半はパウロの働きが書かれています。しかしその真の主人公はペテロでもパウロでもありません。神の聖霊です。聖霊が彼らを捉えて使徒とし、福音宣教者として派遣していった。だから使徒行伝は『聖霊行伝』とも呼ぶべき書物です。そして、『使徒行伝』は28章で終わっていますが、聖書は閉じられたかたちで完結しているわけではありません。その29章以降は、皆さん一人ひとりの人生を通して神の聖霊がそこに書き加えてゆくのです

 

 神が私たちの人生を用いて使徒言行録の29章以降を書き続けておられるということ。そのことを覚えたいと思います。風自体は目に見えませんが、風が吹くときに何かが動かされます。何かが動かされることを通して私たちはそこに風が吹いていることを知るのです。私たち自身が神からの風によって動かされてきたことを覚えたいと思います。

 詩編102:19にある言葉を引用して終わります。「後の世代のために、このことは書き記されねばならない。『主を賛美するために民は創造された』」。神のいのちの息吹、風、聖霊に吹かれて私たちは新しい一週間を踏み出してまいりましょう。お一人おひとりのうえに神様の祝福が豊かにありますように。アーメン。

 

おわりの祝福

 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

 

 

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