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2016年12月 5日 (月)

2016年11月13日(日) 聖霊降臨後第26主日礼拝説教「すべての人は神によって生きる」

20161113日(日) 聖霊降臨後第26主日礼拝 説教「すべての人は神によって生きる」 大柴譲治

ルカによる福音書21-5-19  

「あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」 16-19節)

 

この世の終わりの預言

 私たちが用いている教会暦によれば、来週で聖霊降臨後の最終主日を迎え、一年が終わります。そして1127日(日)からはいよいよ「待降節(アドベント)」が始まり、新しい一年が始まります。教会暦の終りの時期に「この世界の終わり」に思いを馳せるよう私たちは招かれています。本日の福音書には、エルサレム神殿の崩壊の予告に続けて、「この世の終わり」について、主イエスの預言の言葉が語られています。

 イエスの時代にはヘロデ大王によって修復され拡張さた(BC20-19)壮麗なエルサレム第二神殿(バビロン捕囚で破壊されたソロモン王の建てた第一神殿が、BC518/517頃にペルシャの王ダレイオス1世の時に再建された)が建っていました。紀元70年にローマ帝国によって破壊されました。この時に神殿を取り巻いていた外壁の西側の一部が、現在でもエルサレムで「嘆きの壁Wailing Wall」と呼ばれています。

 5-6節にある言葉はその辺りの事情を表しています。「ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。『あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る』」。実際イエスが予告したように、イエスの時代から40年ほど後にはローマ帝国によってエルサレム神殿は完全に崩壊させられたのでした(福音書が書かれた70-90年代には既にエルサレム神殿はありませんでした)。日本的な言い方をすれば、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂には亡びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」(平家物語)ということになりましょうか。

 エルサレム神殿はユダヤ人たちにとっては自分たちのアイデンティティーの中心でした。それが徹底的に破壊され尽くしたということは、自分たちが最も大切にしていたもの、自分たちを支えてきたものがすべて失われるということを意味します。エルサレム神殿がなくなるということは、ユダヤ人にとって自分が自分であることを失うこと、自分たちの一番大切なアイデンティティーの中心を失ってしまうという「アイデンティティークライシス」です。ですから彼らは非常に驚いてイエスに問いかけます。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか」7節)。そこから語られる主イエスの言葉は世界の終わりについての預言です。

 惑わされないように気をつけなさい

 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。8節)

 戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない9節)

こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである」。

 イエスの名を語る偽預言者が大勢現れたり、戦争や暴動が起こるが、惑わされたり怯えたりしてはならない。こういうことがまず起こることが決まっているが、すぐには世の終わりは来ない、と言われているのです。そして10節以降では更に次のように言われています。

 民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。10節)

 そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。11節)

 ⑤ しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。12節)

 それはあなたがたにとって証しをする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。13-15節)

 ⑥ あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。16節)

 ⑦ また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい17-19節) 

 

遠藤周作、三浦朱門、井上洋治の雲仙地獄でのエピソード

 厳しい迫害の中を耐えて、復活のキリストを信じて、それを生き抜いてきたキリスト教のことを歴史は伝えています。来年121日から、遠藤周作原作の『沈黙Silence』という米国映画(監督は敬虔なカトリック教徒としても知られるマーティン・スコセッシ)が日本でも上映されることになっています。江戸時代初期、キリシタン禁教令下に起こったキリスト教徒に対する迫害を通して、沈黙する神の前に、信仰を守り続けて殉教していった者たちと信仰を捨てて踏み絵を踏んだ「転び者」たちの人間ドラマを描いた大変にシリアスな作品です。迫害と殉教のことを聞く度に私は『沈黙』や豊臣秀吉の禁教令の下で信仰を貫いて迫害の中に死んでいった、大阪にも縁の深い細川ガラシャや高山右近ら信仰者たちのことを思い起こします。

 カトリック作家の遠藤周作の三浦朱門がカトリック神父の井上洋治と共に九州を旅したときのエピソードをどこかで聞いたことがあります。九州はご存じのようにキリシタンに対する迫害が激しかった地です。長崎にある雲仙地獄だったでしょうか、地の底からフツフツと煮えたぎるマグマが湧いてくるところを旅したときのことです。遠藤周作は「自分は、信仰を捨てなければここに放り込まれると脅されたら簡単に踏み絵を踏んで転んでしまうだろう」と言った後に三浦朱門に「お前はどうだ」と聞いたそうです。「そうだなあ、オレも同じだろうなあ」と三浦朱門.次に井上洋治神父にも同じように聞いたところ、神父はカンカンになって怒ってこう言ったそうです。「そんなこと、その時にならなければ分かるか!」と。なるほどと私は思いました。たとえ人にはできないとしても、もし神の聖霊が働けばそのように必ずなるのだということなのでありましょう。殉教とは人の力ではなく、神の力によるからです。もし神が働けば、らくだも針の穴を通るのです。「人にはできなくても神にはできる。神は何でもできる」からです(マルコ10:27

 弱虫であって十字架のもとから蜘蛛の子を散らすように逃げ出した弟子たちが、復活のキリストと出会うことを通して、迫害や殉教の死をも恐れずに福音を大胆に宣べ伝えてゆく伝道者に変えられてゆきました。その中に私たちは神の聖霊が力強く働いていることを知るのです。「神の聖霊」とは私たちに働きかけ、私たちを捉え、私たちをつき動かし、私たちを変え、立ててゆく「神の力」です。この神の聖霊の息吹をいただいて「人は生きる者となった」(創世記2:7)のです。

 主イエスは言われます。あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい」(ルカ21:16-19)。主の力が働く時に、私たちは主の忍耐の力を通して、「永遠の命」を勝ち取ることができるのです。

 本日も聖餐式が行われます。「これはあなたのために与えるわたしの身体。これはあなたの罪の赦しのために流すわたしの血における新しい契約」と言って私たちにパンとブドウ酒を差し出して、私たちに永遠のいのちを与えてくださった主の招きにご一緒に与りたいと思います。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである」ルカ20:38。私たちは生きるとしても主のために生き、死ぬとしても主のために死ぬ。なぜなら、すべての人は神によって生きるからです。アーメン。

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