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2016年12月 5日 (月)

2016年10月9日(日)聖霊降臨後第21主日礼拝説教「あなたの信仰があなたを救った。」

2016109日(日)聖霊降臨後第21主日礼拝説教「あなたの信仰があなたを救った。」 大柴 譲治

ルカによる福音書17:11-19

それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」(19節)

 

 

はじめに

 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

 

10人の重い皮膚病に苦しんできた者の癒し

 本日の福音書の日課には10人の「重い皮膚病」を患った人たちがイエスによって癒される場面が記されています。「重い皮膚病(レプラ)」とは、長い聖書翻訳の歴史の中では「ハンセン病」と誤解されてきた病気です。皮膚がただれることを通して当時それは伝染性の「汚れた病い」と見られていました。医者であったルカは既に5:1215で、イエスが重い皮膚病の人に直接触れて癒すというエピソードを記録しています。そこにはこうあります。イエスがある町におられたとき、そこに、全身重い皮膚病にかかった人がいた。この人はイエスを見てひれ伏し、『主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります』と願った。イエスが手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。イエスは厳しくお命じになった。『だれにも話してはいけない。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい。』

 本日の福音書に出てくる10人の病人も、イエスを出迎える時に、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、『イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください』と言った」のです(12-13節)。彼らの置かれた状況の厳しさは私たちの想像を絶するものがあります。彼らは町に近づくことも入ることも許されていなかったようです。鈴を鳴らしたり自らを「汚れた者」と呼び続けたりする必要もあったようです。彼らの「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」という声も枯れる限りの必死の叫びは私たちの耳に残ります。今回主はその10人をただ見て「祭司たちのところに行って身体を見せなさい」と告げるだけで、癒されたのです。彼らは単に「身体的」に病気が癒されたのみではありません。「精神的」にも長年の苦しみから解放されたことでしょうし、「社会的」にも社会復帰が実現しました。さらには「霊的」にも彼らの内面では「自分は神に裁かれた人間である」というところから「自分は神の憐れみによって生かされた者である」という信仰における自己認識の変革、救いの体験が起こっていると思います。

 病気のため隔離されていたために、彼らは癒された後には社会復帰のために祭司に自分の身体を見せて「汚れが清められた」という公けの宣言をもらう必要がありました。だからイエスは10人を祭司のところに送るのです。「彼らはそこ(祭司のところ)へゆく途中で清くされた」とあります。彼ら10人は等しく大きな喜びに満たされます。祭司によって彼らの癒やしと救いという解放の宣言がなされてゆくのです。

 しかしエピソードはそこでは終わりません。話は続くのです。問題はその後です(15-19節)。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。『清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。』 それから、イエスはその人に言われた。『立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った』」。

 ここで初めて10人のうち9人がユダヤ人で、1人がサマリア人であったことが分かります。11節の言葉の背後にも実は改めて深い意図があったのです。イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた」。ここでは場所が重要だったのです。主はエルサレムの十字架への途上にあります。ある意味で主は、分断されたユダヤ人とサマリア人の隔ての中垣を取り除こうとするために十字架に向かって歩みを進めておられるのです。しかしその10人は既に民族の違いを超えて助け合っていました。苦難の現実が彼らを結びつけているのです。

 

「立ち上がって、行きなさい。」

 この一人のサマリア人が、身体の癒しだけではなく、本当の意味での「救い」に与ったということが大切です。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった」15-16節)。イエスさまは戻ってきた彼に最後にこう言われています。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と。日本語では「立ち上がって」と訳されていますが、実はこの言葉は「再起する」という語であり

復活

(

アナスタシス

)

という語なのです。「立ち上がって、行きなさい」は「復活して、復活のいのちを生きてゆきなさい」とも訳しうるすごい命令であり、宣言であるのです。そしてこの「復活のいのち」は死を前にしても揺らぐことのないいのちです。草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ(イザヤ40:8)と言われているような、「神のみ言葉の上に立ついのち」なのです。

 

「あなたの信仰があなたを救った。」

「あなたの信仰があなたを救った」という言葉も味わい深い言葉です。先週の日課は「からし種一粒の信仰」が主題でしたが、今週も信仰が主題です。彼の「信仰」は、彼の行為から推察するに、自分の身に起こったことの報告と感謝と賛美の言葉を告げるためにイエスのところに戻ってきたということの中に現れています。そしてこのイエスの宣言を聞くことができたこのサマリア人と、それを聞く事のできなかった残りの9人のユダヤ人との違いこそが大切なのです。

 私たちは毎週このように礼拝に集められています。実はこれは、そのサマリア人と同じように、感謝と賛美を捧げるために、主イエスのもとに戻ってきているということでもあります。「あなたは決して見捨てられていない。あなたを救うためにわたしは来たのだから。あなたは復活して、この復活のいのちの中に生きてゆきなさい。あなたの中に働き続けている神の信仰があなたを救ったのだ」という主が私たち一人ひとりに告げてくださっている声を繰り返し聞く必要があるのです。本日も私たちは聖餐式に招かれています。この恵みをご一緒に深く味わいつつ、新しい一週間を踏み出してまいりましょう。お一人おひとりの上に主の祝福をお祈りいたします。 アーメン。

 

おわりの祝福

 人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

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